意味をあたえる

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悟り

ふと、中学1年のときのクラスメートでイジメにあって学校に来れなくなってしまった人がいて、なんてさらりと書いてしまっているが、私も加害者のひとりであることは揺るぎないのだが、こうして加害者であることを「揺るぎない」と、宣言することで、なんらかの「免責」を読者に求めているようで、私は私が許せない。今日はまだ水曜日だ。

それで多分それから中3くらいになって、母と父の布団の上でぷよぷよに興じていたら、
「あのときあなたは、「俺(人間関係に関して)悟っちゃったんだよね」と言っていて驚いた」
と言ってきた。私は当時受験生だったが、勉強などせずにぷよぷよばかりしていた。父も母も「落ちものゲー」が好きだったので、当時の我が家はぷよぷよブームとなっていた。スーパーファミコン版のぷよぷよである。スーパーファミコンは、父と母の寝室を兼ねた和室に置かれていたので、あまり遅くまでゲームはできなかったが、父が泊まりのときは母が「寝る」というまではかまわずゲームを続行できた。テレビとスーパーファミコンは、父が寝る側にあったから、夜などは父の布団を座布団代わりにしてその上にあぐらをかいた。父が泊まりで帰ってこない日でも、母は父の分の布団も敷いていた。

しかし母が「悟り」を口にしたときは、夜遅い時間でなかったように思う。というか、ゲームもしておらず、土曜の午後とかにぼんやりサスペンス劇場の再放送を見ていたら、母が言ってきたのだ。母はメガネをかけ、裁縫をしていた。母は普段からメガネをかけていた。もちろん私はそんなことを口にしたことは、一切おぼえておらず、苦笑した。
「「悟り」かよ」
たかが12、3歳の子供の「悟り」なんて、という具合である。しかし、苦笑している方だって、たかが15歳である。人は、過去の自分を簡単に裏切ってしまう。

私は確かにあのとき、なんらかの悟りを得ていたのだ。

それにしても、そのときの母が悟りの内容について、説明を求めなかったのも気になる。求めたけれど、私がニヒルな笑いを漏らすだけで、相手にしなかったのかもしれない。あるいは、そういう態度をとられたらウザいので、触れないようにしたのかもしれない。そういえば、私は親に「達観しすぎだ」と注意されたこともある。

それよりも、親はそのとき堀さんのイジメについて知っていたことになる。担任は知っていた。登校拒否になったから、知らないでは済まされない。学活の時間に、私たち全員に、説教した。男の教師である。手に持っていた、ボールペンを「ぼきっ」と折った。先端を教卓に押し付け、親指を支点にして梃子の原理を使って折った。理科の教師だったのである。しかし、怒ってはいなかった。冷静に、淡々としゃべるのが、普段からこの教師の特徴だった。私が入学直後にクラスメートと喧嘩したら顔面に思い切りストレートをくらい、鼻血を吹き出して保健室にはこばれた私を、この教師が迎えにきたとき、一瞬父親のように見えた。どういう話だったか全く覚えていない。私たちにではなく、別の何かに対して怒りをあらわしているようだった。

堀さんは私と小学のとき同じクラスで、少し太っちょで、しかし気はいいので、嫌われる要素なんてまるでなかった。しかし、私の中学は、4つの小学が合わさったところで、しかも私の小学は学区の都合で半数が別の学校へ行くので、私たちは少数民族だった。堀さんは、多数派の餌食にされてしまった。だから、本来なら私が堀さんを助けなければならなかったが、私は自分の立場を向上させようと、周りに媚びてばかりだった。堀さんは女だし、女同士のコミュニティーがあるはずだ、と勝手に思ってしまったのだ。

それで、私が堀さんをどうすれば助けられたか、とか、堀さんのイジメを通じて私の人生観はどう変化したか、を書いて、あのときの私の「悟り」を再現しようとか思ったが、なんだかそうしたって気持ち良くなるのは私ばかりで、もうアホらしくてアホらしくて、書くのやめる。


※小説「余生」第48話を公開しました。
余生(48) - 意味を喪う