— fktack (@fktack) 2015年8月13日
でもテレビは四六時中家族が見ているので、手紙で予約をおねがいした。
— fktack (@fktack) 2015年8月13日
子供のとき初めて買ったビデオは、別紙のバーコードのついた紙を読みとって転送すると予約ができて、いつも家族で嬉々としてバーコード読み取り、だから別紙は手垢まみれになった。
— fktack (@fktack) 2015年8月13日
子供のとき初めて買ったビデオは、別紙のバーコードのついた紙を読みとって転送すると予約ができて、いつも家族で嬉々としてバーコード読み取り、だから別紙は手垢まみれになった。
— fktack (@fktack) 2015年8月13日
@fktack そんなことを思い出す私はたまらなく懐かしい、という感情に支配されているが、これは後から付け足され、あるいは改変された感情で、私がそのときどんな気分でバーコードを読みとっていたのかはわからない。
— fktack (@fktack) 2015年8月13日
そのとき私は小4か小5で、すでに「心の中のしこり」に気づいていた。それは普通に生活しているのに、どうにも気分が晴れやかにならないときがあって、最初その理由がわからない。
— fktack (@fktack) 2015年8月13日
だけど理由を探っていくと「あ、明日プリントの提出日だけど、なくしてしまって先生に言ってない」とか、そのしこりにピッタリと合った根拠を発見することができる。
— fktack (@fktack) 2015年8月13日
つまり私はそのころには、憂鬱ていどの、マイナスな出来事なら一時的に忘れることができた。しかし、感情だけは表層にとどまって、背筋をのばそうとする私の背中に貼りついた。
— fktack (@fktack) 2015年8月13日
面白いのは、そういったマイナス感情は、根拠が消え去ってもとどまり続けることがある。「なんか気持ちが晴れないな」→「あのプリントの件か」→「でも、プリントは引き出しの奥にあって、ギリギリで提出できた」そうやって、解決したことを自分に言い聞かせると、感情もすっと消える。
— fktack (@fktack) 2015年8月13日
バーコードを読み取るリモコンは再生ボタンなどがついたやつとは別にあって、ボタンも最小限しかなくて細長い。下の方がとんがっていて、先っぽが赤く光る。その光にバーコードをなぞらせると「ぴっ」て音がして、日付やチャンネルを最後まで入れ、デッキに向けて転送ボタンを押すと
「ぴっぴっぴっぴっぴー」
と鳴ってかわいい。その後デッキは自ら電源を落として予約待機の状態に入る。嵐の前の静けさ、といった風に。録画をハードディスクにするのしか知らない人だと、ビデオテープに録画するというのが、どんな具合なのか、想像もつかないだろう。テープの回る音が騒々しかった。しかし、そうやってがちゃがちゃ言っているのを聞いていると、ちゃんと働いているんだと、嬉しくなる。液晶には二本のバーが立っていてそれが波みたいに伸び縮みして、それが左右のスピーカーの音量を表している。今見ている番組と音が合っていないのは、録画中は違う番組を見るからである。CM中に、肝心の番組のほうにチャンネルを合わせると、音のバーはちゃんと対応していて、私は安心する。
バーコードの別紙は、あるときからリモコンの調子が悪くなり、私たちは赤い光源を楊枝でほじくったりした。ホコリが詰まったと思ったのである。すでに何度も作業をしているうちに、例えば私の弟は癇癪持ちで、自分がやらないとひっくり返って泣き出すから、私がやった後にいったん予約を取り消し、それから弟が母の手を借りながらバーコードを読みとったりして、リモコンも別紙も、酷使されていた。別紙のほうも、リモコンを強くこするから、紙のいちぶぶんがへっこんだりした。そういうのも、予約ができなくなった理由だろう。やがて、予約はデッキ本体で行うようになり、そういう作業はなぜか妹が得意だった。妹は今でもテレビっこなのである。
そういえば、別紙の裏表紙には、かなり未来の日付のバーコードも用意されていたが、結局それを活用法する前に別紙はおろか、デッキ本体も使えなくなった。今はそこに印字された日付よりもずっと先の未来だ。
※小説「余生」第54話を公開しました。