意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

出かける行為は好きではないけれど

昨日も含めてこの一週間、頻繁に出かけた。私としては出かけすぎで、ストレスがたまる一週間であった。私はもともと外出するのが好きではなく、家にいるのが好きな性格で、高校二年のときには担任との二者面談のときに、
「お前は部活もやらずに学校が終わると毎日すぐに家に帰るが、家で一体なにをしてるんだ?」
と不思議そうに訊ねられたが、私は堂々と
「リラックスしてます」
と答えた。私は何をしている、と言うほど何もしていなかった。毎日15時43分の上り電車に乗り(駅から学校は近く、歩いて五分くらいだった。毎日学校は3時半には終わる。学校は私の家よりも山よりにあったので、帰るためには上り電車に乗る必要があった。電車はちょうど16時に降りる駅につき、そこから20分くらい自転車に乗って自宅へ帰り、そこでテレビを点けるとだいたいいつもドラマの再放送がやっている。「王様のレストラン」とか、佐野史郎賀来千香子野際陽子が出ているマザコンのドラマとかが印象に残った。冬彦さんじゃなくてマリオさんのほう。それでそのままニュースを見てご飯を食べるとか、ゲームをやるとか風呂にはいるとか、そういうのが私の毎日だった。たまに明るければサッカーとかした。私にとっては、誰かと何かをする時間よりも、一人で何もしない時間の方が大切だった。私の両親は子供にほとんど干渉しなかったので、私は家が居心地良かったのである)。

しかしその教師からすると、「何もしない人」というのが奇妙に見えた。その教師というのは書道科の教師で、私は選択授業は音楽だったので、担任でありながら、彼の授業は一度も受けたことがなかった。私からすると、そういうことの方がずっと奇妙だった。書道室は管理棟校舎の二階にあって、渡り廊下を渡って正面のところにあり、二者面談はそこで行われた。正確には教師が詰める書道準備室というところだ。音楽には音楽準備室、美術には美術準備室があり、ここは担当教師がひとりで好きに使っていい部屋で、教師の私物もたくさん置いてあった。それ以外の普通の科目、国語とか数学は教師はひとりではなく何人もいたから、その何人かで、給食を食べるときみたく机をくっつけあい、私物と言えばせいぜいコーヒーを飲むマグカップくらいであった。だから芸術科目の教師は、ある程度の孤独に耐えられる人でないと勤まらないし、「芸術」なんだから、それは当然な気がする。そういう科目の教師でありながら、ひとりを好む私を不思議がる、というのはやはり奇妙である。それと奇妙なことはもうひとつあり、この書道教師(名前をTとする)は、宮本輝忍たま乱太郎が好きなのだが、忍たま乱太郎は平日の夜6時からやっているのだから、私が毎日大急ぎで帰って忍たま乱太郎を観てるという風に思わないのだろうか。

書道準備室への道を思い出すと、私の記憶は混濁して、どういうわけか、渡りきったあとの黒いカーテンの影から母が現れて、私たちは準備室の前で待ち合わせしていたのだった。しかし母も交えての三者面談だったらTは、
「お前は家でなにやってる?」
なんて、偉そうな口はきかないはずだ。そんなことを言われたら、母は真面目に
「普通にしています」
とか答えるだろう。あるいは少しは恐縮しながら答えるかもしれない。教師だって恐縮するだろう。だから、三者面談などなかった。

そう長い間思いこんでいたら、先日高校時代の友達と会ったときに、私たちは仕事終わりに居酒屋に行って、しかし私以外は車なので私だけが生ビールを注文した。まだ暑い盛りだったので私は生ビールを二杯飲んで、それからハイボールを飲んだ。そうしたらそもそも私は昼間の仕事ですでにくたくたで、いくら気心知れた友達、しかも男友達でも、出かけるなら着替えて行こうと思って、バランスをとるように私はその日はいちばん地味なTシャツで仕事へ行った。仕事は私服で行って、向こうで作業着に着替える。けれど、1日仕事をしたらくたくたになってしまい、改めて着替えようという気にならず、それなら最初からもう少しかっこいいTシャツにすれば良かったと後悔した。それで地味なTシャツの私と、私以外の元から地味な二人の友達と、私たちはあれやこれや話をしていたら卒アルの話になって、
「そういえば弓岡の三者面談の写真が載ってたよね」
とひとりが言い出して、私は「あ」と思った。友達は
「しばらく弓岡は卒アルの話になるたびに、「三者面談が卒アルに載ったのは俺だけだ」と自慢してた」
と私がそんなことすっかり忘れていたから補足したが、私は最初に「あ」と思ったときにそれはなんとなく思い出したから、その補足は余計だった。三者面談なのだから母も写り、しかし写真のピントは手前の一輪挿しに合わせられ、その向こうの私と母はぼやけている。要はそれは「三者面談」の風景の写真であって私たち親子の写真ではないから、わざとピントを外して、それぞれ持ち主の親と自分を重ね合わせてね、という狙いなのだが、私たちは私たちだから、もうそれは出来の悪い親子の写真以外でない。出来の悪い、というのは写真の写りのことで、私たち親子のことではない。ちなみにその写真は三年の三者面談だったから、担任はTではなく、そのときの担任は社会科の教師だったから面談も教室で行われた。そのときにカメラマンが、
「ちょっと写真撮らせてください」
と言ってきたのもおぼえている。しかし話した内容はおぼえていない。わざわざ親を呼んで話すことなどあるのだろうか。

私はその写真を見たいなあと思い、それは私も若いが母も若いはずで、今や母は孫もできて白髪頭でなぜが数年前からメガネをやめてコンタクトにしたから、今と全然違って母が母だった頃の写真だから見たい。私の家は父がカメラが好きなのに家族写真とかほとんど撮らない家庭だった。だから私は卒アルを見たら、ものすごい懐かしい気になると思うが、私の高校の卒アルは、小学校時代の友人に借りパクされたから、もう手元にない。その人は別に悪い人ではなく、小学時代は「コバ」と呼ばれていて、字が男のくせにものすごいキレイというか、みんなものすごい勢いで右肩上がりな字を書いて筆圧も強かったから、誰もが「上手い」と言わざるをえないような字だった。私とコバは私が大学時代に一度会い、コバはすでに就職していて工場に勤めていて私はコバの白いセダンの助手席に乗ってどこかへ向かっていた。その最中にコバは
「弓岡の卒アル貸してくんない?」
と言ってきて、私とコバは中学高校が別で、どうして借りたいのか意味がわからなかったが、そもそもどうして別だったのに再びつながったのか今となっては不思議だ。しかし私は小学6年のクラスメートは無条件で信用していたので、軽くOKして貸してあげた。コバとは近いうちにまた遊ぶだろうと思ったが、それっきり会っていない。

高校時代の友人を大切にしたい。