意味をあたえる

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チャーミーグリーンのCM

さっきまで小島信夫「小説の楽しみ」を読んでいて、小島信夫っぽく書きたいなあと思った。

私の子供のナミミは中学生で、中学校は秋になると文化祭があって、朝からそれを見に中学校へ行った。最初の門からは自転車しか入れないようで、車の場合それをなぎ倒さなければ進めないような位置に看板があって、
「西門へまわれ」
と書いている。もちろん、じっさいはこうではなくて、敬語です。私がデフォルメしたのです。それで左、上を合わせた矢印が下に書かれ、それに従っていくと、やはり門があってそのスロープを軽自動車は登っていった。軽自動車は妻の名義だ。あるいは義父の名義だ。この車に関しては、私はノータッチである。購入する現場にもいなかった。叔父はいた。叔父は中古車屋を営んでいる。

砂利の駐車場に到着すると、目の前には体育館としか言いようのない建物がそびえたっていたが、車を降りた私はわざとらしく、
「体育館はどこかな?」
ととぼけた。夫婦の会話である。私はそれなりにこぎれいな格好をしている。子供に恥をかかせないためだ。私は妻にてっきり、
「目の前にあるじゃない、じゃああれはなんなの? 給食センター?」
などとバカにされるかと思ったが、じっさいは
「そこだよ」
と普通に返された。中学校は妻の母校でもあるから、自分のホームグラウンドであるとアピールしたいらしい。私にも母校はあるが、そこは取り壊され、建て替えられてしまったから、とてもホームグラウンドとは言えない。校舎とグラウンドの位置がまるごと入れ替わったので、とりつく島もない。

それと私たち夫婦にはもうひとつ面白い習慣があって、2人で車に乗るときに、どちらかが運転手になると、片割れは助手席に座らずに後部座席に座る。子供が同乗するときは、子供は助手席が好きなものだから、たいてい子供が助手席に乗るが、子供がいなくて、車内がスカスカなときも、助手席に荷物を置いてしまうと、助手席は荷物に譲って、本人は後ろへ回る。

元々義母が車はぜったいに後部座席にしか乗らない人で、彼女は耳が悪く、運転免許も持っていないから、いつでも100㌫うしろなのだが、妻は義母に影響されたのかもしれない。私もそんなふたりに影響されたのかもしれない。

車の件ではないが、別の特徴で、友人たちから「お前ら夫婦は少しおかしい」みたいなことを言われたことがあるが、そういう人たちは、夫婦というのはチャーミーグリーンのCMみたいなのだと思っているのではないかと腹が立った。チャーミーグリーンのCMがどんなのか、今でもやっているのか知らないから補足すると、CMではまず
「チャーミーグリーンを使うと、手をつなぎたくなる」
という歌が流れ、するとその辺の夫婦とかカップルがみんな手をつなぎだしてスキップしだすのである。その中には老夫婦もいて、私の子供のころというのはあまり外でいちゃつく夫婦というのがいなくて、亭主関白とかそういうのがまだ生きていた時代で、高齢の人なら尚更だ。そういう世間の雰囲気の中で、老夫婦が手をつないでスキップ、というのは新鮮で、私が子供の頃は「男だからという理由だけで、評価され偉ぶるのはおかしい」という価値観も生まれつつあって、素敵に見えた。ちょっと違う。もっと単純な話で、歳をとっても若い頃のように愛し合うのは素晴らしい、という価値観だ。

だけれども、愛し合うのは素晴らしい、というのは私も同意するけれど、ただ手をつなぐだけでそれが叶うかと言えば、そんな簡単な話ではない。たとえば、家事と仕事はフィフティーフィフティー、という考えがあって、それは夫婦を継続するためには必要という考えがあって、多くの既婚者未婚者がそれは大事だと思うが、何をどうすればフィフティーフィフティーフィフティーなのかは、夫婦ごとに全くことなるから、そもそも「フィフティーフィフティー」という言葉自体が意味をなさない。「フィフティーフィフティー」と言っていればすべて解決すると思っている人は、ちょっと思慮が足りない。おそらく相手は「この人は何も考えてくれない。自分ばかりが苦労している」と思っている。手さえつなげれば愛情100㌫と同じ発想である。だから、「フィフティーフィフティー」なんて言うのは今すぐやめよう。

体育館に入ると最初は生徒が全然いなくて、両サイドの親の席はけっこう埋まっていたが、やがて生徒たちが入ってきて、体育座りを始めた。ほぼ全員が体育着を着ている。字面だけ見たら体育祭である。それでやがて静かになって校長の話が始まり、校長は
「動画をSNSにあげる場合、自分の子供のみの動画ならばそれは自己責任だが、他の子が映っていたら遠慮してほしい」
と注意して、私は「時代だな」と思った。とくに「自己責任」のぶぶんに強く感じた。

出し物は音楽部が先で、その後が吹奏楽部だった。それが終わったら私たちは帰った。義妹が0歳の甥を連れてやってきた。