意味をあたえる

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盛り土

妻子が泊まりがけででかけ、今朝思ったよりもずっと早く帰ってきて、その前に義父が下から大声で、
「実家へ行ってくる、お彼岸だから」
とまるで、墓参りにもかかわらず行かずにベッドでぐずぐずしている私を咎めるような調子で行ってきて、私は「ちっ」と思っていたら少しして階段をかけあがる音がして、私はいよいよ「同行します」と私が行ってこないものだから、義父もキレたか、それなら二階の窓から飛び出してしまおうか、などと思っていたら子供だった。だいたい、二階の窓と言ったって、私の家はいくらか盛り土がしてあって、その窓というのは家からしたら裏側で、裏に向かって土地は下がっているから三階分の高さがあって、下手したら私は死んでしまう。しかし、下は畑だから土ぼこりが舞うだけで、私はどんどんと死から遠ざけられてしまうのかもしれない。その畑の地主は鶏を飼っていて、それが軍鶏なのかわからんが、ずいぶん奇妙な声で鳴き、新婚当初私は朝方この鳴き声にずいぶん悩まされ、家族にも相談したが、誰も「裏の鶏は、婆さんが死んでから飼ってない。とっくにシメた」と言われるばかりで、相手にしてくれない。そのうち、私も聞こえなくなった。

最初に盛り土をしたのは隣の金井さんの家で、金井さんは我が家より南側にあったので、日当たりがずいぶん悪くなった。それに対抗し、義父も土を盛ったのである。盛ると言ってもそのまま土をかぶせるわけにもいかず、家は取り壊して一度更地にした。そのあいだ一家は駅前の借家に住み、そこが随分と古いアパートでダニも多く、ホルムアルデヒドか、石綿か、そういうので中学生の妻は蕁麻疹を起こして入院した。妹の方は平気だった。妻はそういう自分の繊細さに優越感を抱いているらしく、妹は大学を出て、姉は高卒どまりでさんざん親戚にはバカにされてきたが、しかし私は繊細なんだと自分に言い聞かせた。

そうして新しい家は建ったが、そこは随分と段差の多い家だったので、私は初めてそこを訪れたとき
「段差が多いな」
と思った。それは妻と結婚する旨の報告で、私は最初から
「娘さんをください」
なんて言うつもりはなく、単に「つき合ってますよ」くらいの軽いノリで挨拶をしたら、義父は性格的にはだいぶ柔らかいので、
「よろしくな」
と言った。義母はそのときからもう耳が遠かったので、ただへらへらと笑っているだけだった。私は当時は気を遣って、少しは大きな声も出したが、今はむしろ小声で話す。本人は耳はふつうだと思っているから、かえって大声を出すのは失礼にあたる。筆談も禁止だ。妻やその妹は、
「昔はもっと耳が聞こえたはずだ」
と話すが、そうじゃない、彼女たちの声が小さくなっただけだ。

義母の耳については、奇妙なことが多く、以前病院へ行くチャンスがあったときに、ついでに耳鼻科へも行き、診てもらったら特に異常はないという。試しに補聴器を着けてみても特に聞こえは改善されなかった。確かに、義母はある種類の音には、どんなに小さくても反応はする。
心因性ではないか」
と医者は言ったが、義父も義母もその意味が理解できない。話によると義母の耳が悪くなったのは中学生に上がって少しした頃で、それまでは成績優秀だったのが、突然悪くなった。それで、原因を訊いても本人はとぼけるばかりで、そのうちにどうやら耳が悪くなっている、ということがわかった。当人は自覚しないわけないのに、どうして誰にも話さなかったのか。義母の母というのはまだ存命で、私が結婚したころに嫁と一緒にやってきて、
「Y恵をよろしくお願いします」
と深々と頭を下げた。私はその行為が滑稽に見え、妻や妹と笑ったが、ひょっとしたら違う意味だったのかもしれない。そのときは体格の良いお嫁さんが餅を玄関に置いていった。義母はお茶の用意をしたが、二人はすぐに帰った。

一方我が家の北側には山谷という未亡人がひとりで住んでいて、山谷は資産はないので盛り土はできず、昼は私の家の影にすっぽり覆い被されてしまっている。山谷の家はくぼんでいて道からはコンクリートの坂となっていて、ナミミもシキミもそこをミニカーで駆け下りた。山谷の家は玄関の前に古い水槽があり、その中でフナを飼っている。ワタシは山谷といちばん話が合う。