意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

フロントグリル

隣の家のおっさんが、この年になってクラウンを購入し、駐車スペースを得るために塀を切り崩した。年中自前リフォームばかりするオヤジである。ここ数日屋根の直ぐ下の、三角形の屋根の尖ったいちばん高い部分にハシゴをかけたままにしており、私はそれが気になって仕方ない。オヤジの家の屋根はきれいな二等辺三角形であり、こじゃれた赤い屋根をしており、私は屋根を見る度
「ああ、アルプス山脈......」
と感慨にふける。屋根そのものが山のようだ、と言いたいのか、アルプスの麓にありそうな一軒家なのかは不明だ。だってこれはただの思いつきだから。しかしハシゴは事実であり、私はあんな高い場所と駐車スペースになんの関係があるのか気になる。ハシゴの根元には水槽があって立派な金魚が泳いでいる。犬も飼っている。オヤジは独身なのである。家も平屋だ。

崩した塀の瓦礫がいつのまにか取り払われ、チェーンの外れた自転車もなくなり、いよいよそこにぴかぴかの白いクラウンがやってきた。私は、
「あ、クラウンだ」
と思った。そのときに初めて車を購入したことを知り、だからそこが駐車スペースだということはそのとき同時に知った事実で、塀を取り崩した時点では、
「またオヤジのリフォーム癖が始まったか」
と思ったに過ぎなかった。オヤジとは年に1、2回しか話をしないが、私はオヤジに悪いイメージを持っていない。私が冬の昼間にランニングすると顔を合わせることがあり、そのときオヤジは、
「おう、ダイエットか?」
と声をかけてきて、私は
「運動不足解消です」
と答える。本当にダイエットが必要なのは妻の方だった。それから、
「精がでますね」とか、
「匠の技ですか?」
とか、軽く言葉をかける。ご近所づきあいである。一方私の妻や義母は、この人の飼うトイプードルが家の前で放し飼いにされ、そうすると私の家の芝生でオシッコをしたりするので、オヤジそのものが嫌いだった。私は私の芝生ではないから、別に嫌いという風までは思わなかった。ウンコだったら嫌うと思う。

新車のクラウンは、我が家の隣に縦列駐車され、頭がこちらを向いている。フロントグリルには高齢者マークが貼ってあり、私は「フロントグリル」という単語を頭に思い浮かべる度に昔読んだ原田宗典の小説のことを思い出す。それは冒頭の方のシーンで、お正月であり黒いセダンのフロントグリルにしめ縄がしてあった、というシーンだった。私はそれまでフロントグリルという単語を知らなくて、しかし言われてみると車の前側のライトとライトの間の車のエンブレムが貼られたりする箇所は、魚焼きグリルのようだな、と感心した。一方「フロント」は前側を表しているのだろう。私はそこを読んで、世の中にはあらゆるものに単語がぶら下がっていて、そういうものをすべて知らないと小説なんて書けないんだろうな、と思った。

原田宗典の小説はタイトルを忘れてしまったが、私の記憶が合っていれば、その後主人公はエロ本の出版社に勤める。