意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

テンション高いのが嫌だ

最近他の人のブログを読んでいて、これはちょっとやだなー、と思うことがあって理由を考えてみると、どうやらテンションの高さにあることに気づいた。私はそもそもブログに限らず、実生活でもテンションの高い人が好きではなく、例えば遠足の前日の子供とかも鬱陶しくてそうそうに寝かしつけたくなる。大人でも、たまにそうなるから鬱陶しい。だから、私もそうならないように、楽しみなことが近づいてきても、なるべく平常心でいようと心がける。平常心、では無意識で高いテンションがデフォルトになってしまうから、低いテンション、むしろこの出来事がやってきて私は不幸でたまらない、という風に振る舞うことにしている。

そういう性格だから、内向的で本を読んだりするのが好きなのかしら、と思った。だけれど私は同時に飽きっぽい性格で、集中しすぎると頭が痛くなったり気持ち悪くなったりするので、いわゆる「オタク」と呼ばれる凝り性の人たちとも歩調が合わず、いつも孤立していた。私が過去に気持ち悪くなったゲームはスーパーファミコン聖剣伝説2と、プレイステーションファイナルファンタジー8です。ファイナルファンタジー8は、途中で車のような乗り物を入手して、フィールドを走り回っていたら、どうにも気持ち悪くなって寝込んでゲーム自体もやる気がなくなってしまった。私は乗り物酔いがひどく、それは二次元も三次元も関係なかった。だけどゲーム類は好きで、スーパーマリオなどは、3までクリアしたし、子供がDSを持っていてニュースーパーマリオを持っていて、私に
「ちょっと難しいからやって」
と渡されたら、そのまま全クリしてしまったらしい。私はそんなこと忘れていたからにわかに信じられなかった。確かに、8-1とかはやった記憶があるのだが。
「ほら、セーブデータの横に星がついてるでしょ? これはクリアした印」
と子供が教えてくれたから、それが証拠だった。まあそんなことはどうでもいいが、久しぶりにスーパーマリオやってみるか、と思いけっこう熱を入れてやったら、やっぱり気持ち悪くて嫌になった。あと、DSやソフトが古いのかたまに接触不良で画面が消えた。あと、キノピオの館などに行かないとセーブが効かないのが気にくわない。

それで、私の嫌いなブログの話でした。

テンション高いブログが嫌だと書いたが、それでも馬鹿丸出しで読む前からテンション高いのが明らかだと、それは最初から読まなければいいし、逆にそういう刺激が欲しいときもあるからそればまだいい。嫌なのは、普通の風を装って読んだら高かった、というパターンで、ああ嫌だ、と思ってしまう。テンションの高さは、それによって自分の記事の中身のなさを正当化しているようで、そういうあざとさが嫌だ。テンション高い系は、ここ最近の忙しさを書き連ねるところから始まる。そうやってエンジンをかけていくのだが、そのままいつのまにかこの記事にたどり着くまでいかに大変だったかという語りになって、そのまま終わる。結局どこにも辿り着かない。しかし考えたら私もいつもそんな感じだ。だから、面白ければなんの問題もない。つまらなさと面白さの差はどこにあるのかと言えば、それはつまらないブログには「目標」があるからで、そういうのには大抵「自分を高める」「毎日更新する」「文章力を鍛える」などの「目標」が宣言されている。目標を持つ人はつまらない。もっと言えば、目標を宣言する人はつまらない。書いている人がどうなりたいかなんて、読んでいる側には関係ない。結局目標とは自分自身に強制的に目を向けさせる手段であり、そこには他者に対する思いやりが欠けている。

あと、「結局俺はダメなんだ」というマイナス方向にテンションの高いブログもいつも胃がもたれるような感じになって萎えるが、どういうわけかこういう系の中には、面白いと感じるものも多い。それはユーモアの有無なのか、そういうのって太宰治からの流れなのだろうか。それとも日本人はマイナーコードが好き、みたいな話なのだろうか。