意味をあたえる

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死までの距離/終われる夢

昨晩子供とお風呂に入っていたら、湯船が思っていたよりもぬるく、私は追い炊きをした。前の人はこんなにぬるくて、さては湯船につからなかったに違いないと、私は思った。湯船で誰かに思いを馳せるなんて、短歌か詩のようである。

私は上の子供の時もそうだったが、二人で湯船に浸かるときに向かい合わせではなく、ニュース番組のように横並びで座る癖がある。私が小倉で子供が菊川という具合である。梅津は壁だ。そうしたら菊川が出し抜けに、
「死んだらどうなってしまうんだろう」
などと言い出したので、小倉は驚いた。
「わからない。死んだことないから」
と答えてみたが、使い古された、提携句のような答えで気に食わなかった。小倉は例えばブログで「さい」まで打ったら「最後まで読んでいただきありがとうございます」みたいなのが嫌いなのである。そういうのが、読む気満々だったのにも関わらず、やむにやまれぬ事情で中断し、そのことに後ろめたさを感じている読者を傷つけているのである。

そのあと菊川は、
「死んだら呼吸止まるじゃん? そうしたら苦しくないの?」
と言ってきたので、助け船でもだされたかのように小倉は、
「苦しくないよ。死んだらなにも感じないから」
とすらすらと答えた。
「死んだら何も感じない、と」
ふと、小倉も菊川くらい、いやもっと以前から死というものについて考えたことを思い出した。そのときはもちろん怖かった。怖さを和らげるために、
「まあ、でも言ったってまだ当分先の話だし。まだ小学生だし」
という思考をとった。そういうのを思い出したら、小倉は少なくとも菊川よりもずっと死に近い場所にいることを悟り、急に上半身がうすら寒くなった。追い炊きボタンを連打した。菊川は風呂のへりで水滴をつなげている。

「ひょっとしたら、これは死の合図かもしれない」
とも思った。葬式のあととかに、菊川が
「そういえば何日か前に、小倉に死んだらどうなるか、て訊いたよ」
と親類に話すのである。なんでそう思うのかと言うと、小倉は小学校6年の時に祖父を事故でなくしたが、父親に、
「お前は田植えで会ったのが最後か」
と言われたが、実はその後にも一度道ですれ違ったことがあり、そのことを話すと
「そうか」
とやや、嬉しそうにしたのである。祖父が死んだのは6月であった。死は「無」というより「全体」ではないか、と最近思う。


2

昨晩追われる夢を見た。だからタイトルの「終われる」は誤字なのだが、前半と並びが良いのでそのままにした。私は幽遊白書の浦飯っぽいキャラになっていて、スキンヘッドの男に追われていた。男は宗教施設のスタッフがなにかで、私は施設で監禁されていたが、うまく逃げ出したのである。そうしたらスキンヘッドが
「今度つかまえたら、玄関で布団です巻きにしてロープで縛りあげる」
と宣言し、私が少年マンガっぽく「そんなの、また直ぐに抜け出してやるよ!」と強がったら、
「どうかな」
とにやりとしたので、私はぞっとした。今度は駄目かもしれないな、と思った。玄関は直ぐ脇に二階に上がる階段があった。階段は薄い板を斜めに壁にさしただけの、縦板のない、不連続のタイプであった。

最初私は女装をしてバスに乗ることにした。つばの広い帽子をかぶり、化粧を施し、かなり女っぽくなったと私は満足した。同じバス内にはスキンヘッドもいたが気づいていない様子だった。そのうちに私は自分が本当に女になってしまったのか不安になり、試しに目を擦ってみるとアイラインがとれて下から私の目が出てきたから安心した。同時にスキンヘッドに気づかれた。

私はあわててバスを降り、と言っても窓をぶち破るとかそういう乱暴なことはせずにちゃんと停留所で降りた。客は他にもたくさんいたから、ここで手荒なことはしないと判断したためである。そこからお母さんに迎えに来てもらい、駅に向かうことにした。だが、スキンヘッドが尾行していることは、きちんとかくにんしなかったがわかりきったことなので、途中で停めてもらい、そこから柵を乗り越えて走って電車に乗ることにした。柵はコンクリート製だったが、羊の群を囲うような雑なつくりのもので、私が子供の頃は駅の周りはこういう囲いで、たまにアクセントで案内板とかあって、そういうのが懐かしかった。私は草っぱらを走り抜け、おかげでスニーカーは白いのを履いていたから、草の緑がつま先に擦り込まれた。

電車に乗ったら今度は降りる駅についてかんがえなければならなかった。途中で乗り換えて、終点のG駅まで行きたいが、そこはスキンヘッドが真っ先に思い浮かぶ行き先だったので、できれば他の駅で降りたかったが、G駅以外はまるで土地勘がなかった。困った私は、G駅の一つ前の駅で降り、そこから一駅歩くことにした。

私はとある人に連絡をとりたいと思っていて、それは以前Twitterで知り合った顔も知らない人で、だけどスカイプかなにかで話はできそうだからあとは話せる場所が必要だった。税務署があったのでそこに入ることにした。個室のトイレならスキンヘッドも気づくまいと思い、トイレを探したら二階にあった。しかし二階というのが、この税務署は劇場のような作りになっていて二階は中二階で玄関から見え、しかもトイレも「ブッキングトイレ」で二人一組で便器に腰掛けるようになっていて、さらにドアは下半身部分しか隠れない。ドアは各自一枚で、中でパートナーと落ち合う仕組みである。こんな開けっぴろげなところで、しかも斜め前では税務署職員が納税相談を受け付けていて、列ができている。職員は壁際に腰掛け、長机が置かれ、そこが特設の窓口だということがわかる。壁はレンガ造りだ。長机の脇にはのぼりがくくりつけられ、「納税相談は民商へ」なんて書かれている。税務署職員ではないらしい。

やがて私は諦めて別のビルのトイレで連絡をとろうと思ったら、そもそも監禁されてたのに携帯っておかしくね? と思い、じゃあスマホは没収されていたが携帯はOKで私はMという会ったことのない女性の番号は登録していたから連絡できるのだが、Mのアイコンが変わっていてどれだかわからない。タイムラインを見たりして、どうやらこれがMのようだと気付いた私は、Mに電話をかけた。Mは岡山県に住んでいて、そういうのが手がかりになった。
「はい」
とMが出て、Mは今ちょうどお風呂から出たばかりだったので、髪を乾かすからあと5分待ってくださいといったん切った。大急ぎで髪を乾かすMを思い浮かべ、私はたまらない気持ちになった。Mの髪はとても長い。前に写真を送ってもらったから私は知っているのだ。それは後ろ姿だったから、顔は知らない。

5分たったから再度電話をするとMは
「お待たせしました」
と言い、そこからMは私の文章はとても面白い、としきりにほめてくれ、あるいは励ましてくれ、私はすっかり満足して電話を切った。

帰りに再び母親に迎えに来てもらい、車の中でオウム真理教の人が、施設内の子供を殺したという事件が報道されたと教えてくれた。その子供というのが、鼻にピーナッツをどんどん詰めていったらやがて鼻が裂けて出血多量で死んだらしい。それならば殺したことにはならないが、女は床下に死体を隠した。オウム真理教の真っ白い衣服を着て、女は床板を剥がしたのである。オウム真理教は人は殺すが虫は殺さないので、床下からダンゴムシがたくさん出てきた。それでしばらくは平穏だったが、あるとき誕生会かクリスマス会のときに男の子の父親が2人いるのだが、この二人が鉢合わせしてしまい、これはおかしいとなってやがて事件は発覚した。女は二人の父親が鉢合わせしないように、死体を隠したのである。

私はその話を聞いて、このようにオウム真理教の問題がどんどん表に出れば世間もその異常性に気づいて、やがて警察も動き、私の監禁も終わるのではないかと期待した。私はオウム真理教に追われていたわけではないが。