意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ヒノキ

山奥の神社に下見に行ってきた。来週末にも行く予定だが、夫婦共に休みですることもないので行くことになった。道中は娘の進路などについて話していたが、山道にさしかかると夫の方が一気に不機嫌になった。彼は乗り物に酔いやすく、それは自分が運転していても変わらなかった。彼からしたら、揺れる乗り物は同じなのに、運転手と助手席で酔い方に差が出る方が不思議だった。
ダムにさしかかって道幅が一気に狭くなると、どうしてこんな未開の地にやってきたのか、下見に誘った自分を憎むようになった。このまま家に閉じこもっていても言い争いになるだけなので、それならば例えガソリンの無駄でも外に出た方がマシだと夫は判断したのである。妻の方は、それだけマイナスイオンを余計に浴びれるので、無邪気に喜んだ。
「どうしてこんなところに人が住むのか」
集落を発見する度に妻は口にした。
「こんなところに住んでいて、あの......アレとか怖くないんだろうか」
「アレ」とは落石や土砂崩れのことをさしていた。集落は斜面にあった。妻は語彙が少ないから、とっさに言葉が出てこなかった。
「学生時代、もっと勉強しておけば良かった」
とため息をついた。夫の方が、「今から勉強してすれば良い」とアドバイスしても、「今更やっても無駄だ」と耳を貸さない。夫の方は、数年前にやはり同じ後悔に取り付かれ、ブックオフで数学の問題集を購入したことがあったが、半分やらないうちに投げた。そして“学生時代にやらなかったのも無理はない“という境地に立った。そういう意味で、何かを始めるのに遅いということはない。

再び山道にセンターラインが復活し、徐々に道が小ぎれいになって道端にヘリポートも見え、やがて景色が開けて神社についた。予備知識もなくやってきた夫からしたらちょっとした宗教施設のように見えた。現に宗教施設だった。そして、駐車料金に500円も取られたことが、なにか侮辱されたような気になった。山の上だから、車など停め放題だと思ったのである。現に彼の友人の住むT村では、車両の購入の際、車庫証明を提出する必要はない。

参拝所まで片道15分、という看板を見て、参拝は諦めた。午後になると下の娘が帰ってくるためだ。最初の斜面で妻がへばった。夫も多少は息が乱れたが、そんな素振りは見せずに
「だらしがない」
と妻をなじった。それよりも夫はオシッコがしたかった。麓のセブンイレブンでホットコーヒーを飲み、今頃それが効いてきた。

階段を登り切るとそこから林道が続き、足を踏み入れるとヒノキのにおいが鼻をついた。夫は小学校の時、担任にヒノキが高級であることを教えられた。ヒノキ風呂は金持ちしか入れない、と授業で教わった。あの辺に生えている、と窓から教師が指差した先は、遠くの山の斜面だった。指さされたぶぶんに今はいる。途方もない気持ちになった。指差した教師も一昨年亡くなった。そういえば冬にたこ揚げの凧を授業で制作した際、骨組みがヒノキだったので、彼は夢中でそのにおいを嗅いだ。接着剤のにおいがした。それを完成させ、土手まで行ってたこ揚げをしたら、彼の凧は学年で四番目に高く上がった。ちなみにその年のマラソン大会も四位だった。マラソン大会も田んぼの畦道で行われ、彼は田んぼと相性がよかった。

足元で「ぼきっ」と言うので見ると、誰かの凧の骨を踏んづけてへし折ってしまっていた。すぐに
「あっ」
という声がして、全速力で土手を駆け上ってきた。隣のクラスの金子だった。隣のクラスだったので、気づかない振りをして無視することにした。凧が途方もないところまで上がり、彼もだいぶ気が大きくなっていた。

途中で展望台があったので、今日のところはそこで引き返すことにした。中年の女が3人、一番眺めのよい角地を占領したまま動かず、口々に
「十分」
「私たちは、もう十分」
とつぶやいていた。そう言うわりには、ちっとも動く気配を見せないので、諦めて下山した。駐車場のとなりにトイレはあり、安心して夫が用を足し、外に出ると、一緒に入ったはずの妻がすでに車の中にいたので驚いた。