意味をあたえる

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歯医者のファンタジー

一昨日私は歯医者へ行った。それは治療ではなく検診とクリーニングだったから、それほど憂鬱ではなかったが憂鬱だった。下の歯はすでに終えているから、上の歯がやっかむと思って仕方なしに行った。あと、前回保険証を忘れたからそれを出さないと事務の人が困ると思ったから行った。

私はその歯医者がとくにお気に入りというわけではなかったが、家から近いのと、あと割と本が豊富にあった。細長い本棚だったので、大型本が充実している。私が子供の頃に読んだ「星座を見つけよう」もあった。私は小学校の時に、あるとき何かの用で幼稚園に行ったら私と同じくらいの男たちが滑り台のところで星座の本を読んでいたのを後ろから眺め、そうしたら星に興味が出たので家に帰って母に買ってくれと頼んだ。幼稚園は私の卒園したところで、滑り台には丸型のカマボコみたいな屋根がついていた。行動的な男の子は、その屋根の上に登ったりしたが、私は臆病だからできなかった。母は「星座を見つけよう」を買ってくれた。私はそれを読んで夜中に星空を眺めた、ということは一切せず、本は手垢まみれになるまで読んだ。星よりも印刷を眺めるほうが性に合っていた。それから飽きて本棚に置きっぱなしにしていたが、あるとき存在を思い出して、ひさしぶりに開いたら、
「わ、汚ね」
と思った。本棚は本にとっては日当たりが良すぎて、手垢は完全に干からびていた。とくに最後のページの全天図が汚く、なびかれた手垢が天の川のようだった。私は全体を見るのが好きだったのである。全天図とは、そういう名称ではなかったが、春夏秋冬の星座が、北極星を中心とした円の中にすべて収まっている図である。

「弓岡さん、お入りくださーい」
「はーい」
歯医者はケンイチ・シュウジという男兄弟が経営していた。二人とも歯医者である。元は新潟に住んでいたらしい。私はシュウジの担当なので診察券裏には番号の後にshと入っている。いつも電話で予約をとるときには、
「それでは診察番号を教えてください」
と言われ
「3511sh」
と答えていたが、shは余計だった。私はそれに気づいたときには恥ずかしい気持ちになった。

私はシュウジの担当だったが、あるとき歯が痛いときがあって会社を半休して歯医者に行ったらシュウジは休みで、仕方なしにケンイチに診てもらったが、本当に仕方なしに、という対応をされた。そんなことでいちいちくんなよ、という対応だった。痛み止めを出された。しかし、シュウジもケンイチも、愛想はとても良かった。私の義父は、医者の愛想の良さと治療の腕は反比例すると考えるタイプで、そのためケンイチシュウジのことを信用してなかった。私はそういうことに因果を認めない新しい考え方の人間なので、特にシュウジに不満はなかった。本当に腕がいいかはわからない。

ところが、私がリクライニングに腰掛けると、対応したのは見たことのない女の歯科医だった。女は出し抜けに、
「それでは頭上に注意してください」
と私に注意を促した。頭上にはモニターがあった。一見、女の配慮に感心しかけたが、シュウジにはそんなことは言われことはないので、女がモニターを引っ込めるのを忘れたので、私は女はずぼらなんだと判断し、感心しないことにした。女に対する印象を公正にするため、女の容姿については描写しないことにする。シュウジは治療ではないから、処置を女に丸投げしたようだ。

処置は可もなく不可もなくといった感じだった。終盤にさしかかると突然
「ちょっと握ってください」
と言われた? 握る? 方言だろうか。私が戸惑っていると、
「握って」
とさっきよりも強い口調で言われた。私がドリルの音がうるさくて聞こえなかったと思ったらしい。聞こえている。意味がわからないのだ。どこかに出っ張りでもあっただろうか。私の椅子の位置がずれていで、その出っ張りを握って修正しろという指示か。それとも寿司でも握れというのだろうか。歯茎がマグロにでも見えたのかもしれない。

私が曖昧な態度を取っていると、女は
「はい」
と満足したようだ。どうやらちょっと口を閉じ気味にしてほしかったようだ。私が「え?」という口をしたから、たまたま女の願いに叶ったのだ。しかし、口を閉じ気味にすることを「にぎる」というとは知らなかった。そういえば私は昔からよく、
「もっと口を開いて」
と注文をつけられることはあっても、逆はされたことがなかった。若い頃気合いを入れて口を開けたら顎が外れてしまい、それ以来怖くて開けられないのだ。私は欠伸のときなど割と簡単に顎が外れるが、そのときは外れた時間が長くて戻らなくなってしまい、手で押し込んだ。歯医者は焦る私の姿を見て、笑いをこらえていた。ひどい医者である。私を挟んで看護婦とお喋りばかりする男だった。