意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

私の執着心のなさを、子供たちは不気味に感じている

結婚式の引き出物の件はもう書いたっけ?

10月に友達の結婚式に行ったのだが、それが今年最大のアウェイ行事であった。大学時代の友人が私しかいなかったからである。前にも記したが、私は高校卒業時に、
「大学に行ったらなるたけ友達をつくらずに過ごそう」
と決めたので、私しかいなかった。しかしそう決心したのは私のほうなので、彼ではないので、彼の大学時代の友達はもっと沢山いても良さそうだった。類は友を呼ぶ、というやつで、彼もまた孤独な四年間を過ごしたのかもしれない。あるいは私に気を遣って他の友人を呼ばなかったのかもしれない。とにかく今となってみれば、奇跡のようなひとりなので、結婚式に一人で行くのはイヤだったが、イヤなのは複数でも同じなのだから、と自分をなだめて会場に向かった。都内でも有名な、体育館のような場所だった。私は当日の模様についてはすでに何度か記事にしているので、興味のある方はそちらを参照していただきたい。

それで行って帰って、引き出物はカタログギフトでした。私はこの世でカタログギフトというものがいちばん嫌いで、なぜ嫌いなのかと言えば、自分で選ばなければならないからである。どうしてご祝儀を包んで金銭的な負担をした後、さらに自分で選択するという負担まで背負わなければならないのか、理解に苦しむ。これは今はそういうブームなのだから仕方がない。私は用途のない皿だとか、センスを疑う置物のほうがよほど嬉しい。例えばそういうものを贈った夫婦が後に離婚し、置物を眺める度に複雑な気になったら、さぞ愉快だと思う。

私はカタログギフトを棚の下の方にしまって、このまま期限が過ぎてしまうことを狙ったが、やはり何かの折に妻などに思い出されて、頼んでなかった、となると
「馬鹿じゃないの?」
と言われるからそれは不愉快なので、結局頼むことにした。ガンダムにした。

ガンダムは細かいパーツばかりで自分の目や手先の衰えを嫌でも実感させ気が滅入るので、やはり頼んで後悔した。このまま箱に入れたまま二年も三年も放置したら愉快だろうな、と思ったらシキミが興味を示し、一緒に組み立てることになった。
「お父さんは面倒くさがりで、こういうのは苦手だから、私に任せなさい」
と頼もしいことを言った。しかしどうして苦手なものをわざわざ頼むのか、そういうぶぶんに思考が及ばないところに人生経験の浅さを感じた。私は子供の頃はガンダムとかプラモデルには目がなくて、さらには完成品を愛でるよりも、組み立てる行為が50倍くらい好きだったのである。だから尚更気持ちが滅入ってしまったのである。

シキミは組み立てるのが、好きだと自分で宣言している子供だが、それは本当に組み立てのぶぶんで、つまりパーツをはめ込んだりするのはやるが、切り離したり、切り離した際にできる汚い出っ張りを削る作業などは私が担当した。私だってできることならはめ込むぶぶんをやりたい。でっぱりを削るなんて、草むしりをやらされているみたいで、なんの楽しみもない。たまにははめ込みも回ってくることはあるが、それは極端に細かい部品だとか、説明書の論理展開にシキミの脳が追いつけない場合などに限られ、私もかなり神経を使う。私は頼んだ時などは、夜に好きな音楽(ジャズとか)をかけながらお酒を飲みつつ(ウィスキーとか)ちんたらやろうと思って少しは楽しみにしていたが、実際は作業が滞ると怒られる。子供が退屈しないように、場合によっては次のページの作業とか、効率良く人を動かさなければならない。あとそのうちナミミもやってきて、私のiPhoneで勝手にジェイソウルブラザーズなどをかける。ナミミは私たちの作業をしばらく眺めた後に部品のひとつを取り上げ、
「今これをぼきって折ったら、お父さんやる気なくして作るのやめるよねー」
と愉快そうに言った。私はそれを聞いて子供は親の性格がよくわかっているんだなあと感心した。