意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

年賀状は自己満足でよい、気遣いは新たな気遣いを生むだけなので

昼間テレビの録画放送を見ていたらキスマイの玉森くんが、ショッピングモールの駐車場の誘導員に扮していて、そこにたまたま免許取り立ての主婦が子供をチャイルドシートに乗せてやってきて、駐車に右往左往していたら、チンピラみたいな男が、
「てめえ、後ろが詰まってんだよ」
とわざわざ自分の車を降りて運転席のドアに手をかけてポーズを取りながらからんできて、そこに警備員に扮した玉森くんがやってきて、
「運転代わりますよ」
と言って、颯爽と車を駐車スペースにおさめて主婦と子供が目がハートになった。

一介の警備員が客の車を運転し、万が一事故など起こした場合どうするのか、そういうところが気になって仕方がない私だが、あくまで視聴者をスカッとさせる趣旨の番組だから、目をつぶることにした。それよりも気になるのが主婦にキーを返す際に玉森くんが、
「車、お子さんを降ろしやすいよう左寄りに停めました」
と言ったぶぶんで、これは余計な一言だし、なんて恩着せがましいやつだ、と私は白けた。もうこの警備員は自分が良い奴だと思われたくて仕方がないのだ。

それでこの話が以下の話とつながるかは、私だってこれから書くから不明だが、昼間「子供の写真の入った年賀状を送るのは不妊症に悩む夫婦を苦しませるだけなので控えるべきだ」という旨の記事を読んで、果たしてそうなのか、と思った。たぶんこれはネット上では前々からある議論で、去年の今頃も私は同じ主張を目にし、試しに妻にそういうのについてどう思うか訊いたら
「そこまで考えない」
と言われた。私としては不妊症どうこうよりも、年賀状じたい私が刷る係だからかったるいから、考え直してくれたらラッキーだと思ったから訊いたのであった。ついさっきも子供のを刷ったが、縁まできちんと印刷されるようにしろとか注文が多いし、たまに刷るのをしくじると妻が怒り出すからいちいち面倒な作業なのである。

しかし私の考えはともかく、年賀状は出したい人はあまり細かいことを考えずに出せばいいと思う。妻の友達夫婦の中には自分たちのキメキメの写真を送ってくるのもいるし、あと最近私の父が、自分の抱負をポエム風に書いて送ってきて、それはそれで気持ち悪いが微笑ましくもある。子供の写真もそういうのと同じ類だと思っている。私は男だし不妊治療もしたことはないので、所詮当事者じゃなきゃわからない、と言われればそれまでだが、私が当事者なら、子供の写真を送られることよりも、傷つくと思われて、なんでもない無難な年賀状を送られるほうがずっと傷つく。だから、結局は年賀状じたいやめちゃえばいいんだよ、という考えもあるが、もし自分のせいで出すのやめちゃったかと思うと、それはそれでつらい。

総じて言えば特別扱いされるのが耐えられないのである。書きながら思い出したが、私は子供の頃は小児喘息で体が弱く、隔週水曜日は病院に行かねばならず、病院は市外にあったから給食を食べたら早退しなければならなかった。給食の後は掃除だったので、私は掃除をサボっていると思われるんじゃないかと、いつも気が気でなかった。一方ラッキーという気持ちもあったが、やはり母がくるギリギリまで、私はその他大勢と同じ風を装った。

私は先ほど自分は不妊治療を受けているわけではないから想像するしかない、と書いたが、想像したのは上記のような子供時代の気まずさだった。だから、なにも考えない私の妻のような人はそのままでいいし、深く考える人も一周まわって、やはり例年通りの自分の満足するものを送るのが良いと思う。

逆に溝のできてしまった友情関係については、年賀状くらいではどうにもならない。友達関係はくっついたり離れたり、というのが最近になって私もしみじみ思う。短気を起こさずに少しずつ慎重に距離をとっていけば、そのうちまた付き合いたくなったときに、気まずくなく近づける。たとえ一生の友達だとしても、そのうちの何年かは目の敵にしたっていいと思う。