それよりも掃除の際にいちばん気をつけなければいけないこととは、掃除機に取っ手が付いているのだが、これは持ち運びする際に使う取っ手で、持ち運ばないときは、蓋に引っ込む仕組みとなっている。蓋側に取っ手と同じ形のへっこみが用意されていて、根元のシャフトで取っ手は四分の一回転し、へっこみにおさまるのである。おかげで掃除中蓋は平らな状態となり、これにビッグライトでも浴びせかければ即席のヘリポートになりそうだ。
しかしシャフトはゆるゆるしていて、しかも取っ手もへっこみも硬いプラスチック製だから、持ち運んで取っ手を離すと
「ぱたん」
と倒れてかなり大きな音がする。音が響き渡る。私の職場はときにはかなり大きな音がするから、この程度の音は「うるせえな」と思う程度で特に気にしてはなかったが、響きわたらせた瞬間、事務のナカムラさんがものすごい勢いで飛んできて、
「今電話中なので、お静かにお願いします」
と言ってきたので私は度肝を抜かれた。トイレは事務所のすぐそばにあり、私が普段いる場所は事務所から離れていた。ナカムラさんは電話の相手を待たせてまで注意しにきたのか。いや、そうではなく電話していたのは違う人だった。ナカムラさんはお節介なのである。
後で話を聞くとナカムラさんは電話中の物音に関してはかなりシビアであるらしく、それは上司相手でも例外ではなく、以前所長がシュレッダーの中身をぶちまけたときに、彼は自分のミスは自分で取り繕う姿を部下たちに見せようと思い、ロッカーから掃除機をもってきてかけ始めたら、ナカムラさんが飛んできて、
「電話中なんで、お静かにお願いします」
と注意され、所長の鼻っ柱はへし折られてしまった。正論だから言い返せない。あわれな所長は手でシュレッダーの切れかすを集めなければならず、それはさながら花を咲かすのに失敗した花咲か爺が、飼い犬の遺灰をかき集めるシーンのようであった。
そういうわけで私は掃除機の取っ手が鳴らないよういつも細心の注意を払っているわけだが、私はそういうちょっとしたことの注意をキープするのが極めて苦手で、いつも二回か三回は鳴らす。さっきも鳴らした。さっき掃除したからである。しかし鳴らしてもドアの向こうだったからまだセーフだった。ドアはとても心強い。しかし私は100%鳴らさないよう注意していたのに鳴らしてしまい、ちょっと頭がおかしいんじゃないかと自分で思う。私は掃除機を持ち上げたとたん別のことを考えてしまい、それは例えば前のやつは洗剤ばかり使って楽をしようとしているが、洗剤が便器に残ってかなり汚い。これがあと七回とか続いたらさすがに注意したいが先輩だし、しかもネチっこい性格だから、黙っている方が得だ。これはジレンマである。彼はネチっこい性格だから他人にあまり短所を指摘されずに生きてきた。彼は不幸であるが、彼限定の世界では幸福であるーーなどと考える。それは掃除機に限った話ではなく、私はだいたいにおいて注意力が散漫だ。