意味をあたえる

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深沢七郎「人間滅亡的人生案内」

表題の本の文庫が最近出たので買った。その前に山下澄人という小説家が自分のTwitterで、
「出ます」
という旨をつぶやいていて、なぜ他人の本をつぶやくのかと言えば、自分がそこに解説を書いているからである。私は山下澄人のファンであるから、彼のつぶやきをフォローしているのだが、この人は自分の小説の情報などほとんどつぶやかないので、私はファンでありながら彼の著作をほとんど取りこぼしている。何ヶ月か後になって新作が出たことを知ったりする。たまに本屋に行って、文芸誌の表紙に
「山下」
と出ていれば買う。芥川賞の候補にもなったからそれなりに人気らしく、だからまだ表紙にも名前が出るが、この先色んな若い人たちが出てきたらどうしよう。そうしたら目次まで見なければならない。文芸誌は何冊もあるから、全部の表紙にいちいち目を通すなんて、非効率的だ。そもそも私は目次を探すのがすごく下手くそだ。何を馬鹿な、とお思いかもしれないが、雑誌の表紙は巻頭だったり巻末だったりグラビアのあとだったり、と様々で探し出すのに実に骨が折れる。何かの記事の下に囲いがあって、何の宣伝だろうとよく見てみると、目次だったりする。おそらく雑誌の編集者というのは、目次が大嫌いで、できればこの世から消えてほしいくらいに思っているのではないか。それくらい見つけづらい。何か目的の読みたいものがあるから目次にあたりたいわけだが、これなら当てずっぽうで記事を探した方が、よほど早く行き当たる気がする。そういえば以前も山下が珍しく
「○○という雑誌に書きました」
みたいなことをつぶやいていたので、私は早速都内まで出かけ、本屋の雑誌コーナーでしばらくページを繰ったが、ついに最後まで見つけることができなかった。買ってまで探そうという気は起きなかった。なんで都内に、というのは仕事の都合であり、それは午後に集合だったから、私が雑誌を手に取ったのは午前だった。お昼はラーメン屋が二軒あって、私は普段ならこういう時は空いているほうに入るのだが、このときはせっかく都内なのだから、という色気が出て、つい混んでいる方に入ってしまった。食べてから、
「空いているほうでも良かったな」
と思った。私はおのぼりさんなのである。

それから私の家の近所のショッピングモール内にもラーメン屋があるが、ここが気の毒なくらいいつも空いている。そのせいなのか店員が必要以上に元気で困る。みんなで声を合わせて
「いらっしゃいませ!」
とか、
「餃子三枚はいりました!」
「ありがとうございまーす!」
とかわめくので、落ち着いて食べれない。店内を見渡すと壁には店員ひとりひとりが書いた色紙が貼ってあり、そこに
「一麺入魂」
とか熱いことが書いてある。私は店舗経験がないからなんとも言えないが、もっと他にやるべきことがあるのでは? と思う。ラーメンはつまらなそうに食べるものだ、と美味しんぼでも言っていた。ちなみに「一麺入魂」は私の創作であり、実際どんなことが書いてあったかは、店を出てからすぐに忘れた。

いつまでも深沢七郎の話にならないので、ここで回答の一部を引用して今日は終わりにします。この本は元は1970年頃に出た人生相談であり、その頃の若い人の文章に興味ある人は買ってみるといいと思います。

 貴君は妙なことばかり忘れないですね。変なことや大切なこと(世間の人たちが言う)は忘れなければなりません。3つのとき、パパやママのベッドシーンを見たとか、7ツのときに愛嬌をいわれたとか、屁のようなことばかりを覚えているけどオッパイをのんだり、メシをもらったり、お小遣いを貰ったりしたたのしいことは忘れちゃったのですか? 覚えていてもよいことは忘れてしまい妙なことばかりを覚えている。幸い貴君は「忘れる」という才能もいくらか持っているようですから、これからは大いに忘れることに努力すべきです。忘却とは忘れ去ることなり、忘れるには血のめぐりをよくして、血液の循環を速くすることです。それには、うんとめしをたべて、うんと身体をうごかすこと、私はカゼをひいたり、腹が痛いときなどは3度のめしを5度も6度もたべて直ってしまいます。うんと、めしをたべて、うんと排泄すること、下水などがつまったときはうんと水を流すことと人間の身体の仕組は同じ組立だと私は思います。 (p.52 河出文庫