意味をあたえる

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アインシュタイン体験

※本日の記事はセンチメンタル・バスから相対性理論に話をつなぐことをねらいとする。

午前中に仕事をしていたら、私はラジオを聴きながら仕事をしていたら、センチメンタル・バスの「サニーデイ・サンデー」が流れた。センチメンタル・バスこそ、わたくしの世代の真の一発屋ではないか、と思った。同じ世代(厳密に言えば少し前)には大事マンブラザーズバンドという強力なライバルがいるが、大事マンは最近になってテレビに出たりしていると聞き、また
「結局なにが大事?」
とのインタビュアーの無神経な質問に対し
「どれも大事じゃない」
という名回答を繰り出し、視聴者に一皮むけた印象を与えた。もはや私の中では1.7発屋くらいになってしまっている。一方のセンチメンタル・バスはこの「サニーデイ・サンデー」しか知らず、その後演奏者であった男女がどうなったかは、まったく聞かない。干されたのか。女の子はアフロヘアで、男は痩せだった。テレビのインタビューで男が答えていると、途中で単語を言い損なってしまう場面(いわゆる、かむ、という現象)があり、そういうとき立て続けに二度も三度も言い損ねるときがあるが、男がそういう現象に見まわれ、あれあれ、と思っていると、男は自分で自分の頬を思い切り張って、ばちん、という音を頬が立てた。私がセンチメンタル・バスについて知っているのはそれくらいだ。CDも買わなかったし、そこまで名曲とも思わなかった。

しかしそういう私の感性とは無関係に、この曲は私の高校時代の主題歌であったと、振り返ってみると思う。中学時代はワンズ「時の扉」だろうか。高校時代はあと、パフィーがめっちゃヒットしたころで、蟹を食べる歌とかヒットした。あと深夜に「パパパパパフィー」という番組がやっていて、放送された次の日は必ずクラスのアサミというやつが、
「昨夜のパパパパパフィー見た?」
と我々に確認を求めてくるのが恒例だった。関係ないがアサミは犬に似ていて、私は高校時代彼を
「犬」
と呼んだ。

しかし私はパパパパパフィーを一度くらいしか見たことがなく、なぜ見たことがないかと言うと、その頃はあまりテレビ自体を見なくなったからだ。私がテレビを見なくなった理由はいくつかあるが、今日の午前中、ふとその理由のひとつはドラゴンボールではないか、と思い至った。

ドラゴンボールは私が中学くらいでちょうどナメック星でフリーザと闘うあたりになって、話がかなり冗長になっていた。私は話の筋をほとんど忘れたが、ゴクウはなかなかナメック星に到着しないし、到着したと思ったらいきなり瀕死になって、集中治療室のようなところに入れられてしまうし、なかなかスーパーサイヤ人にはならないし、とにかく「ゴクウ待ち」がひどかった。あと毎回クリリン
「くっ」
と言う。あの当時のドラゴンボールは次回予告がいちばん楽しみだった。次回予告と前回のあらすじを見れば話はじゅうぶん理解できた。私がきいたところによると、この冗長さの原因は、ドラゴンボールはジャンプの連載を原作にしていて、ジャンプも週間だから問題ないよう思えるが、実はジャンプ一回ぶんをテレビにすると、15分で済んでしまう。テレビは30分であるから、そのままだとアニメは倍の早さで時間が流れてしまうのである。だから、アニメスタッフは意図的に話の展開をのろくして、原作を追い越すことを防いだのである。

それで、そういうことをどっちが早いとかのろいとか考えていると、私はついつい相対性理論のことを考えてしまう癖があって、アインシュタインはエレベーターに乗っているときに相対性理論のアイディアを得たと聞くが、私はいつも車を運転するが、たまに洗車機に車を突っ込み、すると密閉された空間で周りの機械が前後に動き、車の方が動いているように錯覚する。洗車機に車を突っ込ませた人ならわかると思うがその錯覚は実にリアルで、本当に車が動いているように感じるし、ひょっとしたら車を支えている地面が動いているのではないかとか考える。実際動いていないとは、内側の人間には誰も証明できないのである。そういうすべてのものが動いているとか止まっているとか言い切れないというのが相対性という考え方なのである。アインシュタインの時代に洗車機があったかどうか、またアインシュタインが車の免許を持っていたのか私は知らないが、アインシュタインが洗車機に車を突っ込んだら、
「これぞ相対性!」
と心中で叫んだはずである。

話は前後するが、結局ナメック星の決闘では最後フリーザが星を爆発させることで結末を迎えるが、そのラスト五分でフリーザが何週にも渡って
「あと五分」
と残り時間の表明を行い、私はたぶんその場面は結構手に汗握って見ていたはずだが、冬になり何かのスキー合宿に参加したときにインストラクターの人が、
「あと五分って言ったまま1ヶ月すぎてるじゃん!」
と的確な突っ込みを入れ、私は
「これはまた、絶妙な突っ込みだな」
と思い、以来テレビとの距離ができていくのである。その頃の私が相対性理論に少しでも触れていれば、
「何もおかしいことはない。ナメック星が地球よりもずっと速く移動しているからそうなるだけだ」
と心の中で反撥し、テレビとの距離も縮まったのだろう。