意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

落としどころ

昨日は妻が妹の犬を見に行くと言って、昼過ぎに家を出て行った。妻とは、昨日の記事に出てくる妻と同じ人物である。読者の中には、昨日も妻のことを書いて、今日も冒頭から「妻が」なんて言い出すから、私に妻が複数いるのではないかと心配する人もいるのではないかと思い、配慮した。昨日は昨日の午前の話で、今日は午後である。妻の妹、つまり私の義妹は結婚して今は隣隣町あたりに住んでいる。車で30分くらいだ。新居は夫の実家の敷地内に建てた。私は新築祝いに一度訪れたが、家は細くてセンターラインのない、アスファルトのところどころにひびの入った道の途中にあり、向かいは公民館だった。公民館のコンクリートの駐車場にはとても径のでかいマンホールがあって、傍らにはその上に駐車してはならない旨の立て札があった。公民館は無人で、入り口の脇には緑の公衆電話があった。側溝は道よりも太くて蓋もなく、周りがフェンスで囲われていた。フェンスも緑だったので、私は「緑町」と密かに名付けた。

義妹夫婦の家は畑の中に建っていて、一番奥に夫の両親の家があった。そのため、両親が出かけるときなどは必ず新居の家の前を通ることとなるので、無意識のうちに家にいるのかどうかをチェックしていた。家にいれば声をかけることもあった。私は義妹の義父がどんな仕事をしているのか知らなかったが、新築祝いの際に
「ずいぶん手広くやられているようで」
とおだてると彼はまんざらでもない様子だった。ガタいの良い、私が名付け親なら
「なんとか太郎」
と呼びたくなるような、外見をした義父だった。彼からしたら私は、経理の仕事でもしているように見えたのかもしれない。

その家にやがて犬が来て、子供が生まれ、妻は犬と子供に会いに行ったので、私はのんびり音楽でも聞きながらブログを更新していたら、予想よりも早く妻が帰ってきたからがっかりした。彼女はその日はPTAの役員決めだから、予定よりも早く帰ってきた。家を出るときはそのことを忘れていたから、妻自身、そんなに早く帰るとは思っていなかった。妻は自分の子供を置いて、私の地区の公民館に出かけた。その公民館は東日本大震災よりも後に建てられたので、まだきれいだった。

妻は一時間ほどで帰れると思ったが、新役員を決めるのに揉め、結局三時間以上かかった。それは現役員が新役員の決め方に新ルールを導入しようと提案したためで、新ルールは長い目で見れば誰も損はしないものだったが、直近ではちょっぴり残念な人もいて、残念グループの人にヤンキー崩れみたいな主婦がいたので、大いに揉めた。結局役員の提案は却下されたので、くたびれ儲けだった。

私も数年前に地区の役員をやったが、同期の人に張り切り屋さんがいて、無駄なルールなどをいくつか撤廃したが、そういう人は主張が強いからやはり一部の人からはすごく嫌われた。しかし根回しがすごくうまく、例えば酒の席などで有力者にそれとなく話をしたりしたので、提案が却下されることはほとんどなかった。妻のPTAの人はそういう前準備をしなかったから、周りの人の気持ちを動かせなかったのではないか。一方の私の同期の張り切り屋さんは自分でも行動力のある人だったので、私も面倒な仕事はほとんどその人に任せた。そうなると、いざその人が提案したときには私の方もうまく通るように働きかけたりするのである。というかこの人の思い通りになったほうが、自分はますます楽ができるだろうという打算が働くのである。

これをひっくり返して考えると、組織の中で自分の欲望を満たしたいと思ったら、周りには自分がいかに貧乏くじを引いているかを見せることが大事である。私もアピールがうまくいっているのか、部署内では私が苦労していると思っている人も何人かいて、おかげで私も効率よく仕事をサボれるようになってきた。アピール、というのが重要で、実際に苦労をしていたらしんどいだけである。しかしまるっきり演技では見抜かれてしまう。コツは他の人が苦手で自分が得意なことを見つけ、それを大変そうに行うことである。