「アマゾーン! どこ行っちゃったんだよ、アマゾーン!」
と絶叫する。これはおそらく仮面ライダーアマゾンのことではないか、と私は直感した。ベネチアン・スネアスはアメリカだかカナダのバンドで、日本語なのはそこだけである。外人からしたらアマゾンと絶叫する子供が愉快なのだろうか。
しかし、子供時代と大人時代で、ここまでイメージが変わってしまう単語はそうないだろう。私が子供のころはアマゾンといえばアマゾン川だった。仮面ライダーアマゾン、と聞けば、アマゾン川流域で乱獲されたサバがなんかの怨霊がライダーになって出て来た、とかイメージする。今だったらAmazonの倉庫で過酷な労働にさらされた非正規雇用の人々の怨念が、となりそうだ。私の子供はあまり勉強ができないから絶対に
とか言い出しそうでこわい。
思い出してみると、私は比較的アマゾン川の肩を持つ子供だった。川の長さではナイル川に世界一の座を譲ったが、流域面積は一位で頼もしい。あと世界最大の酸素製造工場という肩書きも頼もしい。私の親だとかは世界一といえばミシシッピー川、というイメージらしいがどれだけ無知なんだよ、と思う。私はミシシッピー川だったらハドソン川のほうが好きだ。しかし思い入れは人それぞれだった。
私がどうしてアマゾン川に肩入れするのか、そのきっかけは忘れてしまったが、そういえば昔雑誌の「てれびくん」か「小学○年生」で夏休み特集でドラえもん一行がアマゾン川に行く話が掲載されていて、そこでのび太がアナコンダに締め上げられたり、(ドラえもんが道具で蛇を追い払うと誰かが「アナコンダが逃げ込んだ」とダジャレを言った)あと現地の人が
「ポロロッカがくるぞ!」
「翻訳コニャックはないのかね?」
と無茶を言うエピソードがあるが、そのエピソードは今書きながら私が思いついた。
ところでそのアマゾン川を散策する漫画とは、藤子不二雄が書いたものではなく、ストーリーも作画も誰か別の人の手によるものだった。子供ならそういう誰が書いたとかあまり気にしないものだが、私はその漫画にはスネ夫の顔の正面からのショットがあって、髪が放射状にとんがっているのがどうしても違和感があって表紙を見たら、やはり書いているのは知らない人だった。本家の「ドラえもん」にはスネ夫の真正面からのショットはないのである。