意味をあたえる

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門/黒目


赤子の門 - 牡蠣が食えたら

昨日この記事が面白かった。赤子の門というものが登場するが、それは厳密には両親の門ではないか、と、やたらと細かいぶぶんにこだわるのが良かった。それ以外にも
「最初の歪みは正常」とか、
「犬の門」
とか、じっくり読んでも楽しいが、このように単語だけ拾い上げても愉快だ。傑作である。まだ読んでない人は読んだほうがいいと思う。私の記事を読み終わってから読んでもいいと思う。

それで「赤子の門」という言葉および説明で私は去年に読んだエイモス・チュツオーラというアフリカの小説家の「薬草まじない」という小説のことを思い出した。この話の主人公が〈生まれながらにして死んでいる赤ん坊〉族の出身であり、また物語の途中で〈生まれながらにして死んでいる赤ん坊〉族の町にも訪れるからである。主人公は町を飛び出してこの世に生まれたのであるから、再び町へ舞い戻ると周りの人はみんな主人公に冷たく接した。〈生まれながらにして死んでいる赤ん坊〉族、という名称なだけで実際には大人も子供もいるのか、それとも乳児ばかりなのかは不明だが、主人公がかつて暮らしていた家だとか、家族だとか出てくるから前者なのかもしれない。そういうところが不明瞭なのが小説というものの特徴だった。あるいは私の読解力のなさのせいなのかもしれないが、多分この小説はそういう細かいところは気にしない。何せ「取り外しのきく頭を持った人間」などと戦ったりするのだから。それで戦いに勝った主人公は戦利品として頭を持って帰るのだが、よほど地元の仲間に自慢したいのか、ずっと頭を持ったままほかの敵とも戦ったりして、
「一体こいつは手が何本あるんだ!」
と思ったりした。

話は変わるが今朝「シャキーン」という朝の番組を見ていたら、モモエというキャラクターが微笑むと目が黒目だけになることに気づいた。それと隣に座ったぶかぶかのズボンをはいた女の子も元から細目なので、黒目がちだった。私はそれを見て何を思い出したのかと言えば、昔読んだサバイバルという漫画で、犬視点で物語が進む場面があるのだが、そこで登場する飼い主兼主人公の男が、普段は白目もあるのに、犬視点では目全体が黒く塗りつぶされていることだった。人間の視神経のほうが優れている、そういえば嗅覚では人間のほうが圧倒的に劣るというから、せめて視力だけは勝ちたい、せめて漫画の中だけでも勝ちたい、という気持ちの表れかもしれない。

話を整理すると、「シャキーン」という朝の番組は、擬似的な犬視点を体験できる番組だった。