意味をあたえる

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チャンネルあらそい

何日か前のあじさいさんの「ふくらんでいる」の記事で「つまみを回してチャンネルを替える古いテレビ」と黒電話の話をしていて、またその記事を書くきっかけとなった「ワイドナショー」で松本人志
「昔のテレビはチャンネルがとれた」
という話も私は見ていた。私はワイドナショーという番組はわりとよく見る方で、あの番組を見る度に
佐々木恭子歳とったなあ」
と思う。あの番組は二部構成になっていて、佐々木恭子は後半パートから登場する。前半は若いアナウンサーがいる(名前はわからない)。そのアナウンサーは後半パートにも登場し、佐々木恭子の隣に座るのだが、佐々木恭子の隣にくると途端におとなしくなって、存在感をなくす。その様子を認めると
佐々木恭子偉くなったんだなあ」
と思う。またタレントの扱いにも余裕が感じられ、前述の若いアナウンサーだと、話を振られても若い人特有の
「えっえっ」
みたいな反応しかできないが、佐々木恭子だと、逆にタレントにきわどい質問をしたりする。だから私が「佐々木恭子歳とった」と感じるのは外見の話ではなく、そういう態度の話のことであった。

あと昔「トリヒアの泉」という番組だかで、中野美奈子と歩く速度を比べられ、佐々木のほうが遅かったからオバさんと評されていた佐々木恭子

それで松本人志の話にしろあじさいさんの記事にしろ
「そうだそうだ」
と懐かしがる気持ちも私の中にあったが、その先がなかったので、私がそのことを書きたい。

昔のテレビはチャンネル切り替えるつまみがとれ、とれた後には突起のみが残るのだが、それが半円の形をしていて、半円の平らなぶぶんを利用しペンチとか手でつまんで回す。ここまでは松本もあじさいも書いた(敬称略)。それで我が家の場合は、最初は
「テレビ壊れちゃった!」
と大騒ぎし、父も
「なんだと!?」
みたいな反応をするが、私が差し込めば元通りになることを発見すると、今度はイタズラなどで意図的に取る人が表れ、最初はただの自己顕示欲を満たすためだけに行われていたが、だんだんと自分の見たいチャンネルに合わせてからつまみを取って、隠す者が現れた。わが家はチャンネル争いの激しい家だったのであり、見たい番組を見ている最中でも替えられてしまうことがあったのだ。ツマミを隠す行為は、力の弱い妹がよく行った。妹はまだ幼かったので、その隠し場所をそのまま忘れてしまうのである。ツマミがどこかへ行ってしまったことに父は激怒したが、私がチャンネル部分の突起が半円形をしていることに気づき、その平らなぶぶんの向きを変えればチャンネルを替えられることを発見したら怒らなくなり、ツマミはもうあってもなくても同じなので、しばらく付いてない状態が続いた。やがて母が掃除などして見つけ、元に戻すと
「久しぶり」
みたいな感じになった。

ここまでが私の話であったが、ひょっとしたら松本やあじさいさんの家ではチャンネル争いがあまりなく、こういうエピソードはなかったのかもしれない。わが家はチャンネル争いが激しい家で、特に父と妹のバトルが激しかった。大人になってから知ったが、どうやら父は妹に対して弱みがあるらしく、妹に対して強く出れないぶぶんがあり、そのために力が拮抗して争いが長期化した。私と弟などは父に対する恐怖が心根にあったので、やはり最後のぶぶんでは父の思うようにせざるを得ない。一方私は妹には一時期暴君のように振る舞ったので、そういう意味では私たちはジャンケンのような間柄だった。

わが家チャンネル争いのピークは日本がワールドカップに初出場した時で、そのときは私の家にもサッカーブームがやってきて、父と弟は元からサッカーをやっているし、私はJリーグ開幕世代、母は特にサッカーとは無縁の主婦に過ぎなかったがミーハー心丸出しでセルジオ越後の講演会を聞きに行き、ヨハン・クライフを「空飛ぶオランダ人」と呼べるようになって帰ってきた。

しかし妹は大のサッカー嫌いであり、見たいドラマがあるからと、予選3試合のうち一試合は全く譲歩せずに茶の間を独占し、仕方なく残りの四人は父の部屋の古いテレビで観戦した。私の家族は五人で、当時は茶の間と父の部屋のみテレビがあった。あと父と母の寝室にもテレビはあったが、それはゲーム専用だったので、テレビは映らなかった。余談だが私の友達に親が小学校の教師をしている家があって、母親に私の家のゲーム専用テレビの話をしたら、
「まあ怖い」
と言った。私からしたら女性にしては背が高くて肩幅の広いその母親のほうが怖かった。

それで私たちは四人で父の部屋のテレビでワールドカップの観戦をし、今思えば三試合のうちの一試合はこちらに鑑賞権を譲れという妹の主張はもっともだと思うが、当時は日本中がワールドカップフィーバーしていた時期なので私は妹が異様に感じた。私が妹の立場なら、いくらサッカー嫌いでも部屋にひとりぼっちは寂しいから
「いいよ」
とか言いそうだが、そこをビジネスライクにこなしてしまうのが妹のすごいところだった。

ワールドカップ初出場のころがピーク、と書いたがなぜピークなのかと言えば、その後わが家はテレビを買い替えることになり、今度は横長の画面が二つに分かれて同時に二つのチャンネルが観られるものにしたせいだった。おかげで右は妹、左は父という風になったのでわが家は平和になった。その後またテレビは買い換えられたが、私はもうその頃は家を出たので二人の関係がどう変わったのか知らない。この前実家を訪れたら、レコーダーに意図しない番組が録画されていたので妹が父に怒り、父も
「知らない」
と反論していた。後で調べたら毎週録画がドラマが終わっても続いていただけだった。