意味をあたえる

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水たまり飛び越え業

目さんのひたすら問うだけのブログで上記の記事を読み、私は実家から10分くらいの距離にあった巨大な水たまりのことを思い出した。そこは雨などが降った次の日には道路が丸ごと水たまりになってしまうゾーンで、つまりそこは普段は道路だった。道路の時は気づきづらかったが、いくらか土地がへっこんでいて、さらに排水設備も充実していなかったから、ちょくせつ路面に注がなかった雨も、やがてそこへ行き着き、それなりの深さとなった。そこは裏道であり、ある意味忘れ去られた路地であった。工場の脇にある道で、春などは桜がとてもきれいだった。目さんの言う「水たまり飛び越え業」の方も、これを飛び越えるのは難儀であろう。しかしプロなのだから、クレーン車などで乗り付けて、クレーンに自身のベルトをくくりつけて飛び越えるのかもしれない。幸い、そこの道路は舗装はされていた。アスファルトは端の方がひび割れていたが、クレーン車一台くらいなら大丈夫だろう。私が
「本当に飛び越えられるのですか?」
と心配すると、
「ああ、このくらいならざらですよ。もっとすごいところありますよ、島根とかに」
と答える。私はこの「もっとすごい」という言い回しが気にくわない。なにか、自分のプライドが傷つけられたような気になる。以前にも書いたが、私の家の近所になかなか勾配のきつい坂があって、あるとき部活の友達が私の家に遊びに来たときに、
「ちょっと急な坂があるんだけど」
と言って坂に誘って昇ったら、
「悪いけど、これならうちの方の坂の方がぜんぜんきついよ」
と彼は私に言った。「悪いけど」と頭につけたのが気にくわなかった。彼はビジターであり、初めての坂で普段なら出せない力で坂を登ったのかもしれず、そういうのを考慮しないでただ
「うちの方がきついよ」
と言い切ってしまうのは、いかにも浅はかな人間だった。

水たまり飛び越え業の人も、
「もっと広い水たまりはいくらでもありますよ」
などと邪険に扱わず、
「わあ、これは広い。ちょっと難しいかもしれませんが、とにかくやってみます」
というくらいのリップサービスは必要である。そういうところが、水たまり飛び越え業界を生き抜くコツなのであった。

ところで私には東京に住む従姉妹がいて、彼女が私の家に遊びにきたときに、たまたま大雨の次の日だったので、件の水たまりを見せに連れて行ったことがある。私は東京の人は足が弱かろうと思い、わざわざ車でそこまで連れて行った。私はまだ免許取り立てで、彼女は小学生用だった。彼女の両親は離婚したばかりで、姉と彼女は父親に引き取られ、父親とは私の母の弟だった。父親は子供たちをどこかに遊びに連れて行こうと思ったが、どこへ行けばいいのかわからなかったので、姉の家に来た。姉とは、私の母だった。母は、離婚していない。叔父の離婚が決まったとき、母はチラシの裏に簡略化した家系図を書き、どこが修正されるかを、私と妹と弟に説明した。しかしそんな回りくどいことをしなくとも、母と祖母の電話の様子で、そうなることは兄弟全体が気づいていた。その頃祖父はまだ生きていて、ぼけてもいなかった。祖父が死んだ後に日記が出てきて、その頃の項を開くと、
「困ったもんだ」
と書いてあった。それから数年して祖父は突如台所で鼻血を流してそれから鼻血は病院で止められたが、そこから痴呆が始まり、その辺りの項を開くとミミズのような字が走っている。