意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

自慰

昨日の「意味をあたえる」の記事を書いているときは、ふだんと違うような気配があり、私としては注意力が散漫な書き方だったが、筆の動きがにぶることなくずんずん書けて気味が悪かった。ちなみに私はふだんからあまりしゃきっとしたことは書かずに、書くもの書くものの輪郭がはっきりしないことが多いので、単に注意力が散っても平常運転であるのだが、それでも昨日は私のバックグラウンドでよくわからない力がはたらいているようにかんじた。

そういう気配のようなものは、だいたいすぐに忘れてしまい、忘れてしまうということは、たぶん私はそういう気配をちょくちょくかんじていると思われるが、昨日はその少し後に旧川さんが自分の記事を更新されたあとに、
「途中から自分でもなにを書いているのかよくわからない」
という旨のtweetをされていたので、
「私も似たような感覚を、今日の記事で得ました」
と反応したら、
「そういう感覚は気持ちが良く、自慰的ですらある」
と評価されていた。私としては「自慰的」は結論を急いでいるような感じもしたが、概ね同意できた。あれは空中浮遊に近い。

それで思い出したことがあり、私が昔バンドをやっていたときに、ライブハウスの楽屋で対バンの人と話をしていたら、その人はジャズもやるらしく、その人が
「ジャズのソロというのは、みんな自慰なんだよ」
と主張していた。そこにいたのはみんなロック畑の人ばかりだったから、それに対し反論しなかった。そして全員が、自分のプレイは自慰ではないと信じていた。私はそのときすでにジャズを聴くようになっていたかは忘れたが、聴いてなくても、
「結論としてはそうかもしれないが、そうやって簡単に断定するたぐいのものではないのではないか」
と思ったに違いない。私はだから旧川さんに感じた早急なかんじは、実はそのときの記憶にかんじた早急さなのかもしれない。自慰というのは、いつだって焦ってやるものだから。

すべてのソロは自慰行為、と断定したジャズプレイヤーの、“すべて“の中に、たとえばマイルス・デイビスのような名プレイヤーも含まれるのか、と昨日私はひとりで考えた。おそらくそのときのニュアンスを思い出すと、アマチュアプレイヤーのソロなんか、聴くに耐えられない、と言いたかっただけの気もする。しかし、
マイルス・デイビスの自慰はすさまじい」
とか言っても意味は通じる気がする。私は単に「マイルス・デイビスの自慰」と文字が打ちたくてここまで書いた。

あと、これはオマケだが、私は昔から自分の性器を露出する夢を幾度も見る。そのことをピンチと評価するパターンもあれば、そもそも性器を隠す文化のない世界に生きるパターンもあった。夢なので、始まりも終わりもなかった。夢は過去に追いやられると、一枚絵のようになってしまう。それで昨日もマイルス・デイビスの自慰について熱心に考えていたら、夢で性器を出すハメになった。