意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

仕事を向き、不向きで考えるなんて、変です

少し前に深沢七郎「人間滅亡的人生案内」を読んでいて、これは若者の人生の悩みに答えるというもので、おそらく深沢七郎が上記の記事を読んだら、タイトルのようなことを言うのではないか、と私は判断した。仕事というのは排泄と同じものだから、私には排泄行為は向いていない、というのがナンセンスなのと同じで、排泄は好む好まない関係なく必要にかられてするもので、仕事も食っていくために必要だから、する。だからそのような行為を好きとか嫌いとか、楽しいだとか、みたいな風にとらえるのは一種の倒錯である。

だけれども、好きな仕事をした方がいいだとか、自分を向上させるべきだとか、そういう理屈が大きな顔をするものだから、そうでない人がみじめになってしまう。本当は逆で、仕事が楽しいという人は、変態だ。ドMである。もちろん人の趣向はさまざまだから、ドMでなにも悪いことはないが、そういうのは個人的な楽しみとして、こっそりやってほしい。人に強要するものではない。

記事の中で、同僚の輪の中に入るのが苦痛、とあったが、おそらく同僚と仲良くやっていくことに対して直接的に報酬の発生する仕事ではないと思うから、輪に入る必要はない。私たちがすべきこととは、課せられた仕事を、怒られない程度になるたけ手を抜いてこなすことである。手を抜くことが悪いこと、と思いなかなかできない人は、例えば商売において仕入れの値段を買い叩くとか、商品の短所をぎりぎりまで細かい文字で書いて、見えづらいところに印刷することを想像しよう。それと同じことなのです。商売というか経済というか資本主義というか、とにかくそこは特殊な世界であるから、その中では本来の自分、あるべき自分でなくともいいのです。逆に言えば、周りと話を合わすのが苦痛でも、合わせている振りだけしてにこにこしておけば、意外なところでうまく利用できるかもしれません。余談ですが、私の部署に50代のおじさんがいて、おじさんは仕事はイマイチですが、親切にしていたら、あるとき倉庫で芋虫が半分つぶれて、ぐにゅっとなっていて、でも生きてはいる、という状態のときに私が悲鳴をあげたから、その人がティッシュを五枚くらいとって、芋虫を取り除いてくれました。私は芋虫なんか触りたくなかったから、とてもラッキーだった。

我慢とは一種の投資と思い、回収の見込めない我慢をするのは愚かと認識すること。