意味をあたえる

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萬田久子ゲーム

私が高校のころだったかな? 「せんだみつおゲーム」というのがあって、ルールは複数の男女が指名された順に
「せんだ」
「みつお」
と言い、その次にせんだみつおの持ちネタである
「ナハナハ」
と全員で行う。男女は車座に座っている。それでまた最初の「せんだ」に戻って、彼らはいつまでもそれを繰り返し、幸せに暮らしましたとさ。

そういうのが90年代に流行った。それで私はせんだみつおは「千」であるから、それよりとパワーアップしたバージョンを考えたときに「千」より強いのは「万」だから、「萬田久子ゲーム」というのを考えたらどうか、と思った。ルールはまるパクリで、まずは複数の男女が車座に座り、
「萬田」
「久子」
と指名順に言う。関係ないがスマホは「まんだひさこ」と打ったらちゃんと漢字が出てくるから便利だ。メジャーとマイナーの微妙なところにいるタレントは、こういう変換に出るかでないかで一喜一憂するのだろう。私は傷つきやすい性格だから、そういうのに神経をすり減らしそうだから、タレントじゃなくて良かった。

ところで、萬田久子は芸人じゃないから、せんだみつおの「ナハナハ」に当たる持ちネタがなかった。そこで、当時萬田久子は黒豚のCMに出演していたから、
「黒豚」
と唱えることとした。ナハナハは左右の手のひらで耳をふさぐようなポーズをとり(実際はふさがない)、手を小刻みに揺する動作を行うが、黒豚はシンプルに、人差し指で鼻を押し上げ、豚の鼻を形容することにした。俗に言う「ブーブー」の動作である。萬田久子は黒豚のCMに、レオタード姿で出演していたと記憶する。

萬田久子ゲーム」は、弟と何度か行ったがすぐに飽きてしまい、それ以来やっていない。しかしながら、生涯のプレイ回数は、せんだみつおゲームとどっこいどっこいである。

なぜ急に萬田久子なのかと言うと、朝の連続ドラマに萬田久子が出演し、つい一昨日くらいに萬田久子は息を引き取った。その直前に家族で縁側に座り、
「梅がきれいね」
などと話していた。きれいだと言ったとたん、梅の映像が画面に流れ、私はこれは、NHKの資料室にあった梅の花の映像ではないか、と疑った。だからなんだという話だが、ストーリーのことをまるで知らない人が撮影した梅では、話の中で浮き上がってしまうような気がした。ちょうど私のTwitterでフォローしているアカウントで偶然短歌Botというのがあるが、それはWikipediaの記事の文字の並びが「57577」となったぶぶんを切り取って投稿するプログラムなのだが、最初のうちは、
「おお、まったく意図しないところで短歌ができてしまうなんて」
と感銘を受けたが、徐々に感銘しなくなった。それは梅の花と同じで、執筆者が短歌を書こうとして書いたものではないからだ、と私は理由づけた。これの真逆が自由律短歌ということになるのだろう。