意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ごついパン/考え抜いたことを書いてもつまらない

昼間私は一番に昼食を食べ終え、席を立つと、向かいに座っている後輩の、後輩というかほとんど新人の人がパンを食べていることに気づいた。なぜ立つまでパンの存在に気付かなかったのかというと、私の座っている目の前には卓上のでかいプリンターが置いてあるからです。それはA4サイズとA3サイズに対応しているが、A3の紙はでかいから、その給紙トレイのサイズだけ、下側がでっぱっていて、そのいびつさが愛おしくてしかたがない。横から見るとL字なのである。私の側から見ると逆L字なのだが。そしてLの横棒の上に、人々は重要度は低いけれど、捨てるに捨てられない書類を積み重ねていくのだ。

プリンターの向こうに後輩のパンがあり、それはチーズなどが使われているのだろうか、表面がごつごつしていて、まるで上空から見たロッキー山脈のような、あるいは恐竜の背中のようなごついパンだった。サイズもでかい。後輩は20歳そこそこの、ひょろっとしたメガネの青年で、私がものを教えると、
「あー」
とか言ったりするから
「あー、じゃねえよ」
とか叱りたい気持ちに駆られるが、教え終わると、
「ありがとうございます」
とお礼を言うから、私の叱りダムはなんとか決壊せずにこらえている。言葉ひとつを取り上げて咎めるのも気が進まない。そんな、後輩が、ごついパンを食べていた!

その前に、今日は別のことを書こうと思っていたが、いつも思うが考え抜いたことを書くのってつまらない。だから何か思いつくと、なるべく考えないように放置しようと試みるのだが、考えないと忘れてしまう。だから私の頭の中にあるのは、だいたいは考え抜いたものだ。しかしそれを書くのはつまらないとさっき書いたが、つまらないというか、疲れる。考えを重ねると、私は自然と読み手の心情に寄せるようになってしまう。ついつい理屈を多用したくなる。