意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

「こうあるべし」がうっとうしくてしかたない

タイトルのことをTwitterでつぶやいたら、三森さんに
あべこうじのことを言っているのかと思った」
と、反応をいただいた。しかし私はあべこうじというのが誰なのだかわからなかったので調べたら、芸人の人だった。私は自分が芸能人でなくて良かった、と思うことのひとつに、あまりに先輩の数が多すぎる、というのがあり、いわゆる大御所と呼ばれる人でも全く曲とか聴いたことがないのに、
「○○さんが、弓岡くんのブログを読んでるってよ」
と言われたときに、
「わー」
とかならなくて失礼にあたるから困る。芸能人はテレビとか見ていると、どんな人の名前を出しても
「光栄です」
みたいな反応をし、よく他の芸能人の名前をおぼえているなあと感心をする。しかしこうして書いてみると、「感心する」だなんて、イヤミったらしいな、と我ながら思う。私は妻とよくお喋りをするが、そのときに、
「すごく嫌みな言い方するね」
と言われることがよくある。私としては、普通にコメントしているつもりなのだが、そういえば私は嫌みっぽい言い方になってしまうことがよくあり、よくよく考えると私は嫌みを言いたいのかもしれない。さっきの「芸能人の名前をおぼえられて感心する」について、もしかしたら何が嫌みなのかわからない人もいるかもしれないから補足すると、私は腹の底では
「どうせテレビなんか台本ありきだろ」
と思っているわけで、台本ありきとは、例え台本なしのドキュメンタリーであってもマネージャーが
「歌手のなんとかさん、があなたを好きと言っているから、なんとかさんのwikiをチェックするように」
とか、事前に指示を飛ばしているからで、しかしそう考えると芸能人の人って勉強家だな、とやっぱり感心してしまう。しかし「感心する」なんてやっぱり嫌みっぽいから、言葉そのものが罪なのだ。私はこうやって書くことが好きだから、書くことが好きとはつまり言葉とか単語ののコレクターであり、そういう人は珍しい言葉や切れ味抜群の言葉を、やたらとひけらかしたくなるものだ。

私が嫌みっぽいのは昔からのことで、そういえば親にも
「嫌みっぽい」
と注意されたこともある。