意味をあたえる

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無知な主人公

昨日「キングダム」という漫画が、一昨日あたりに別の人のブログを読んでいたら
「キングダムを読んだら面白かった」
とあり、私も感じるぶぶんがあったから、レンタル屋で借りて読んだらおもしろかった。王騎というキャラクターが私が愛読しているHUNTER×HUNTERヒソカというキャラクターに似ていて好きになった。どちらも一般的に言うとジョーカー的ポジションであり、それは作者からしてもそうで、扱いによっては主人公が霞んでしまい、つまらなくなる。なぜ霞むのかと言えば、単純に主人公よりも強いからである。トランプのジョーカーはすべての札よりも、強い。

私が初めてジョーカーを感じた人物、あるいは現実の言葉で
「彼はジョーカーですよ」
と教えられたのは、「シュート」という漫画の久保善晴というプレイヤーで、彼は天才でありキャプテンであったから、最後は伝説の11人抜きを行い、そのまま命尽き果ててしまった。サッカーは1チーム11人で戦うわけだが、一体相手チームはどんなポジションをとっていたのか気になる。

ここまで書いて、私は漫画を「枠」で語っていることに気づいた。キャラクターにおける“ジョーカー度“については私以外にもきっとたくさんの人が語っていると推測する。一方の小説について、私はどんなことを書いたのか思い出してみると、私は漫画にそれほど魅力を感じていないようだ。しかし漫画は娯楽だ。

11人律儀に抜かれた相手高校(掛川北高校)の生徒たちは、事前に久保が死ぬことを知っていたとしか思えない。普通フィールドの全プレイヤーが、ボールに殺到したら他の人にパスされた時点でかなり危険な状態になる。掛川北高校は、全国制覇を狙えるレベルの高校だから、危険なことが理解できないはずはない。あるいは久保が律儀に全ポジションに回って総当たり戦みたいなことをやったのか。久保はそのときは瀕死だったから、最短ルートを行ったと思う。(久保はパスは出さない)と掛川北高校の人たちが知っていたと考えるほうが自然だ。

では何故掛北(掛川北高校の略称)は久保が死ぬことを知っていたのか。それは作者に教えられたからである。作者が何の気なく、作品内に現れるのは危険だ。もちろんSFだとか、メタだとか、そういうジャンルを私は認める。しかしメタはメタで、メタであることを自覚し、極めて慎重にメタる。

同じことが「キングダム」にも言える。私は主人公の無知具合が気になって仕方がなかった。どうして無知なのかというと、無知であれば周りは教えてあげなければならないから、読者は主人公を通して予備知識のなさを補うのである。つまり本当に無知なのは読者のほうなのである。主人公は才能にあふれる戦士であり、それならばたとえ知らなくても勘が働いたり、また、その自信が故に、知ったふりをすることもあるかもしれない。それなのに、読者がストレスなく物語に入っていくために、主人公はひたすら馬鹿なふりをしたり、茶番を演じたりしなければならなかった。私はときにはそれが申し訳なくて、読むのを中断しなければならなかった。