意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

春が自転車に乗ってやってくる

シカ菜が新しい自転車を買ってもらったと言い、それは水色のぴかぴかの自転車であり、おかげで水色がシカ菜の好きな色ランキングで三位となった。(一位:オレンジ、二位:黄色)

どうして私がたがだがひとりの子供の好きな色をここまで子細に知り、また忘れずにいられるのかと言うと、前日私以外の家族が群馬県かどこかへ行って、ロウソクを作ってきたからで、それはロウを流し込む前に、砂だとかでデコレーションするのである。男の私からすると、そんな手の込んだことはまっぴらであり、現に以前どこかの避暑地で焼き物だかやったときも、私はそうそうに建物の外に出て、駐車場の車止めに腰掛けて、ブログの記事など綴っていた気がする。私はデコるとか彩色するとかそういうの全般が苦手であり、過去の記事含めて私のブログが、ただただ文字のみが並ぶ殺風景な画面であることからも、そういう性質が推し量れると思う。

それでシカ菜の作ったロウソクの砂が、上からオレンジ、黄色、緑で、さらに今も私のすぐそばにロウソクはあったから、私は彼女の好きな色をすぐに把握することができた。水色が外されたのは地面にそぐわない色だったからか、あるいは自転車を買ってもらう前だったからである。私は今日の昼にその真新しい自転車を初めて目にしたが、予想したとおり水色はいくらか子供っぽい色であり、サイズは大人が乗るのにも申し分なかったが、成人するまでにあと一度か二度は買ってやらなければならないと直感した。ちなみに私が小学生のときに買ってもらったのは二年生の時で、馬に例えるとポニーくらいの大きさの自転車で、色はシルバーと黒で申し分なかった。それまでは未就学児が乗るような、ギャバンが側面に書かれたような自転車に乗っていた。ギャバン号は、私が喘息の発作を起こして一、二週間入院し、退院したら玄関に置いてあったのが最初だった。それからしばらくは補助輪をつけて家の外も走り回り、私の家の周囲は当時はまだ砂利道で、砂利道を補助輪付きの自転車で走るのにはコツが要った。コツというのは、砂利道というのは車がたくさん通ることによって表面が凸凹になり、そこに雨が降ることで凸凹がさらに強調される。そこを横幅のある補助輪付き自転車が通ると、水たまりのぶぶんで後輪が空転し、前に進まなくなってしまう。それを回避するために補助輪付き自転車は道の端が、ど真ん中を走行しなければならなかった。ある日端を走行していた私は、側溝に頭から落ちた。昔は側溝も広かったのである。

やがて私は隣人に助けられ、自転車も壊れることなく、補助輪を外すところまでいった。私は誰に手伝ってもらうことなく、庭でひとり練習して補助なしを達成した。なのでシカ菜の自転車の練習はかったるくて仕方がなかった。そういえばミユミはひとりで乗れるようになった気がする。