意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

天気のみ良い日はクラシックを聴こう

朝から妻とシカ菜がでかけてしまったので(しかし私は留守番ばかりだ)、だらだらと部屋の片付けや衣替えなんかをしながら過ごしている。本を読んだり、携帯のゲームをやったりするが、どれも熱心にはしない。私は、最近よく思うのだが、何もしないことが好きなのだ。ぼんやりと、窓の風景なんかを眺めているのが好きなのだ。それは一週間か二週間前に那須に行って、そこのホテルに泊まっているとき、それは四階の部屋だったが、私以外の家族はみんな女で、女たちはみんな風呂に行き、私たちはその前に別の風呂に行っていたから私は風呂はパスして窓際の椅子に浅く腰掛けて足をテーブルの上に投げ出し、ヨーゼフ・ロートの「ラデツキー行進曲」を読んでいた。この小説の派手なことがあまりに起きない展開に私は幸せを感じていたが、ふとホテルの正面に停められた車が赤く点滅していることに気づき、その正体を突き止めようと窓に身を乗り出すと、それは救急車のサイレンを車のボディが反射しているのだった。宿泊客の誰かがのぼせたのか、露天風呂で足を滑らせたのか、お客は老人ばかりだったから、なんらかの発作が起きたのかもしれない。そんなことを考えながら眼下の救急車の屋根をずっと見つめ、担架が乗せられ、付き添いのおじいさんが浴衣のまま乗り込むところまで見ていた。途中で飽きたので、救急車が山を降りるところまでは見なかった。

私はすなわち、何かやらねばならないこと、やりたいことをやらない・できない理由を見つけると嬉しく感じる性分だった。片道二時間かけてそこで一夜を明かすなら、その間は仕事も友人関係も何も考えずに済んだ。スマホさえなければ、ブログだって書かずに済んだ。

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今日は天気が良く、またひとりなので音楽でも聴こうと思い、この陽気に合う曲はなんだろうと思い、最初はアルフレッド・ビーチ・サンダルの曲を三曲聴いたら飽きた。私は、自分の死んだ後のことを考えるのは馬鹿らしいが、自分の葬式にこのアーティストの曲がかかったら、あっけらかんとして良いと思う、と思った。

それで私は、次に何を聴こうかと思ったときに、ロック系をよく聴くけれど、むやみに心拍数をあげたくないし、しかし日本の「バラード」と呼ばれるジャンルは、べたべたして聴いていられない。そう思ったらもう日本語を耳にするのが嫌になってきて、洋楽かジャズが良いと思ったが、ジャズもうにょーんとした感じで今日の気候には合わないから、最終的にクラシックにした。しかし私はクラシックはふだん全く聴かず、聴いても英雄ポロネーズをたまにユーチューブで観るくらいだった。ユーチューブにはプロアマの演奏があったが、やたらとスタッカートキメキメの演奏があって、私はそれを聴くと愉快だったので、そうじゃない普通バージョンのを聴いたらすぐに飽きた。それで私は不意に「のだめカンタービレ」のことを思い出し、ずっと昔に私はのだめカンタービレを読んだことがあった。読む前か後が忘れたが、昔勤めていた会社で、私の直の上司だった人が、私よりも年が下で、のだめカンタービレのCDを聴いていた。その人は小さい「っ」を大きい「つ」で発音する、「やっぱり」を「やつぱり」と言ったりする気持ち悪い喋り方をする人で、自分では中性っぽさをアピールしているようだったが、腕毛が濃かったので、
「まずは剃ろうぜ」
と心の中で私はひそかに思った。私はその会社はすぐに辞めてしまったのだが。

のだめカンタービレのアルバムを聴いていたら、バッハのピアノの曲が流れてきて、私は懐かしい気持ちになった。最初はショパンだっけ? バッハだっけ? と判断がつかなかったが、スマホを見ると
「バッハ」
とあったからバッハだった。私は昔ドラムのレッスンに週一回、六年くらい通っていたが、あるときにやめることになり、最後のレッスンのときに先生にもらったのがキース・ジャレットの弾くバッハのCDのコピーだった。キース・ジャレットは元はジャズピアニストだが、そのCDではソロで、余計な装飾は一切ない演奏をしていた。どうしてドラムレッスンの餞別がピアノなのか奇妙だった。

そういえば私のブログの第一回はキース・ジャレットの話で始まり、それからもうすぐ二年が経つ。