意味をあたえる

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山下澄人「鳥の会議」2

引用

 小学生の男の子が三人と女の子が二人、公園にいた。女の子の一人は車椅子に乗っていた。みんなはその子をブランコに乗せようとしていた。
「こわい?」
「大丈夫」
「そっち持ってよ」
「持ってる」
「支えててよ」
「うん」
「俺足持ってる」
「あんまり上に上げられたらこわい」
「うん」
 ぼくたちはそれを見ていた。そして女の子はブランコに座った。そしてみんなの支える中、少しだけ前後に動いた。
「わぁ」
 とその子が声を上げた。

ここに出てくる小学生たちはわき役であり、風景であり、この前にも後にも全く出てこないが、私は感動して少し涙を流してしまった。私はここに出てくる小学生が生まれつき足に障害があって、生まれて初めてブランコに乗ったのだと読み取り、そのことを
「うらやましい」
と感じたからである。いや、もしかしたらみんなで支えてブランコに乗せてくれるような友達が、うらやましかったのかもしれない。私は自分が小学生だった頃なんて、とっくの昔だし、なによりこれは小説でお話だから、小学生を一方的に純粋なものだと信じ込んでいる。

今日まであまり考えたことがなかったが、山下澄人の小説には障害を持った人がよく出てくる。他の小説、たとえば「ぎっちょん」という小説では、ぎっちょんは黄色いシャツを着て、足を引きずっていた。そして貧しかった。私はなんとなく「20世紀少年」といえ漫画に出てくる、ほにゃらら君、に似ていると思った(名前忘れた)。しかしほにゃらら君は、たしか足が速かった。そして大人になり誰かに自殺に見せかけられて殺された。

「鳥の会議」でも最初の方に竹内という足をはじめとする引きずっている少年が出てきて、主人公グループは、竹内ひとりに殴りかかるのだが、そこに大人の男が割り込んで
「足が悪いのに可哀想だろ!」
と怒ってくる。対して味方のリーダー格の神永という男が、
「足は関係ないだろ!」
と言い返す。そのやりとりを見ていた竹内は、最初のうちはわざとらしく足を引きずっていたのに、段々と神永の挑発に乗るようになって、
「お前らバラバラにしてやる」
とか言い出して、大人が、
「いい加減にしろ!」
と叱ると、
「うるさい!」
と言い返す。大人は立つ瀬がない。

このようなシーンが先にあったから、私は生まれて初めてブランコに乗った少女に対し、
「うらやましい」
という感情を抱けたのかもしれない。たとえば、これは虚構だからと割り切ればそうでもないのかもしれないが、世の中には、そういう感情を「不謹慎」と評価する尺度がある。しかしネットに載せられている文章を読んだりすると、
「不謹慎という発想はおかしい」
という考えもだいぶ一般的になったと思うし、また、乙武さんのような人もいるから、少しずつ、実際に障害を持った人はリラックスして生きられているのかもしれない。

そういえば私の大学時代の友達にやはり足を引きずって歩く人がいたが、彼はケチで嫌みったらしい根性の持ち主で、おまけに家は金持ちで、免許を取ったとたんに新車を買ってもらって、イヤなやつだった。私の祖母もそれなりの資産はあったから、孫に車を買うくらいわけはなかったと思うが、そういう話にはなったことがないし、私も買ってもらおうなんて思ったこともなかった。祖母には成人式のスーツを買ってもらったくらいだ。