意味をあたえる

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タイムカード

ひさしぶりに小島信夫の「寓話」を読んでいて、途中からRPGのことを私は考え出した。なぜかというと、私はこの「寓話」はすでに一度読んでおり、そのときは図書館から借りて読んでいて、なにせぶ厚い本だし私は読むのが遅いから2ヶ月はぶっ続けで借りていたように思う。確か晩秋から年明けにかけて読んでいた。たしか初めての小島信夫作品で、だからなおさら時間がかかった。そのあと同じくらいの長さの「菅野満子の手紙」も同じように借りて読んだが、こちらは1ヶ月くらいで読み終わった。そのころはもうこのブログを始めていて、ところどころ抜き出して記事にしたこともある。読んでいるときはあまり感じないが、書き出すと切れ目がなくて「ここも、ここも」と写しているうちに、かなりの長さになった。書き写すためには本を開かなければならず、最近はあまりそういうことをやらないから、どういった体勢でやっていたか、あまり覚えていないが、とにかく太ももが疲れた。重いからである。重くて大きい本だが、私はかまわず会社に持って行って読んでいた。会社という場所は長く勤めると、第二の我が家のようになってしまい、本をいちいち見栄えの良い袋に入れようとか、そんなことを考えなくなってしまう。私は車から降りると本を鷲掴みにし、タイムカードのところまでくると、それを一時的に左の脇の下にはさみ、空いた右腕でタイムカードを押した。早くしないと本が滑り落ちるので、素早くタイムカードは押さなければならなかった。しかしどうしてこの会社は今時タイムカードなのか。私は同僚や後輩に、機会があるごとにタイムカードがいかに時代遅れの機器であるかを説いている。それは以前の勤め先では指紋で打刻をしたり、あとは入り口に専用端末を置いて、そこに社員証をかざしたりと、最新の機器に触れていたという自慢でもあった。ちょうど先週、NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」を見ていたら、主人公の常子が初めての勤めでタイムカードを押すのに感動する場面があり、NHKらしく無駄に賃金労働を美化しているきらいはあるものの、タイムカードがいかに古臭いものであるかをうまく表現しているので私は満足した。とと姉ちゃんの時代設定がいつなのか私は知らないが、
「女のくせに」
とか日常的に男が女を罵るのだから、それなりに昔なのだろう。だから人によってはタイムカードとは、男尊女卑の象徴である、ととる人もいるかもしれないから、そんな時代遅れなものは、とっとと撤去してもらいたい。

ところで、とと姉ちゃんこと常子は、夢のタイピストになり、女ばかりの部署に配属されるわけだが、最初の一週間はなにも仕事を与えられず、女の子らしく白いレース布のかけられた未使用(新品ではないと思う)の前で1日ぼんやりと過ごす。このままクビになるのではと焦った常子は、男ばかりの部署にでしゃばって仕事を請いにいき、罵声を浴びせられる。

私がこのシーンを見て胃が締め付けられるというか、ほとんど泣きそうになったのは私もかつてまるで仕事を与えられない時期があり、もちろんまるでないわけではなく、しかしそれは30分もあれば終わる仕事で、つまり残りの7時間半はすることがない。仕方がないのでたまに振られる雑用仕事を、ゴマをすりつぶすみたいに可能な限り引き延ばしたり、あとは意味もなくネットにでているExcelVBAを写したりして時間をつぶした。しかし派遣元は私のそんな働きぶりを良しとはせず、私は卑屈な笑みを浮かべながら、他部署に
「なにか仕事はありませんかねぇ?」
と頭を下げて回ったのである。