意味をあたえる

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カフカ「城」(2)

前回「「城」は藤子不二雄Aの「笑ゥセールスマン」のようだ」と書いた。その理由についてこの前は書かなかったが、私は初めて「城」を読んだのは比較的最近の五年前とかそれぐらいのときで、私は30歳をすぎるまであまり読書をしなかった。しなくても、日々やることがあったからである。「変身」はもっと前に読んだが、それがいつだったかは思い出せない。「変身」を読んだときは気の毒だ、くらいにしか思わなかったが、高橋源一郎の著書の中で、これはなんの小説の書き出しでしょうクイズみたいなのがやっていて、「変身」の最初が引用されていて、すごいと思った。高橋源一郎は「細かくてすごい」みたいら評価をしていたがその通りで、むしろ大ざっぱに話が進む今の小説のほうがすごいのかもしれない。私は虫になったザムザが、背中に手が届かなくてもどかしがるぶぶんが気に入った。そういうのは、自分で読んだときにはまったく目に入らず、単に「ザムザが虫になった」という情報だけで先に進んでしまっていた。本を読むというのは、もちろんひとつの本が複数にまたがることもあるが、全体を手にとって動作に入るわけだから、無意識のプレッシャーを背負っていて、だから最初の数ページでつまづくわけにはいかないのである。むしろつまづくくらいなら、早い段階で決別してしまいたいのである。縦書きの場合、右手のページがまだ少なくて頼りなく、そういうときはうっかりすると引きちぎってしまいそうだから、とっとと中盤にさしかかりたいのである。だから虫になったザムザがどうこうとか言われても、なかなか頭に残らないのである。高橋源一郎の「変身」の引用は中盤にあったから、私はぞんぶんに味わうことができた。

ところで、三島由紀夫の「金閣寺」という小説があるが、金閣寺はそれなりの長さをもっているわけだから、他の作品と併録されるというパターンはなく、文庫本の一ページ目から「金閣寺」のはずである。ところがあるときTwitterのフォロワーが「金閣寺を読んでいる」と写真付きで投稿し、それを見たら途中から金閣寺が始まっていて、これはどうしたものか、と思いその人は割と親切な人だったからどういうことなのか訊ねたら、
「これは全集なのです」
と教えてくれ、なるほどそういうパターンもあるのか、オールスターならば、八番九番もあり得るのだな、と合点がいった。私は是非とも途中から始まる金閣寺というものを読んでみたい気がしたが、全集は私の手に余るのであった。その人の三島由紀夫全集はおそらく個人所有のものであり、主婦であり小学校高学年の息子がおり、全集のある家に生まれ育つというのはどういう具合なのだろうか。その人はあるとき参観日の懇親会で、子供に将来どんな風になってもらいたいか、という質問に、
「健康であれば、あとは望まない」
と答えたら、周りの主婦にクスクス笑われたという。みんな冗談を言ったと思ったのだ。確かにその人は関西出身だったが。

私はその話に感銘を受け、私はよく丸出しでたまに「子供にお金で苦労をさせたくない」とか思ったり妻なんかは知性のかけらもなく子供に、「大人になったら母さんをハワイに連れて行っておくれ」と、頼み、私ははやくその話題から興味をそらせたくて、
「ハワイより沖縄の海のほうがきれいだってよ」
と見てきたかのようなことを言う。沖縄の海が世界でいちばんきれいだ、と教えてくれたのはお寺の娘さんで、私よりも年下だったが私は彼女より下の立場の派遣社員で、彼女は真面目に仕事をしていたから世界中を旅し、
「ハワイは都会、グアムとサイパンは田舎」
と、南の島、という認識しかなかったこれらの観光地に新たな視点を授けてくれた。じゃあ金閣寺は超都会なのか。彼女は今は結婚をして、子供の23もいるのかもしれない。