不良、という言葉が今でも対象者のあるものなのかわからないが、私が中学生のころにはそういう人がいなかった。ヤンキー、という言葉が流行りだしたころだったが、そういうのもいなかった。私がいちばんに思い出すのは中学時代ではまず相撲のことであり、私はテニス部だったが、一年はコートに入ってもやることがないので土手を走らされたり(私の中学は川のそばにあった)筋トレしたり、そういうのは二年がやらせるのだが、そればっかりだとつまらないから、校歌を歌わせたり相撲をとらされたりした。上級生は私たちの体格を見ながら地面に即席のトーナメント表をつくり、そういうのを楽しんでいた。私は比較的体格の良いほうだったから決勝まですすんだ。しかし私よりも背の高い人に負けた。その人は猫背で、今で言うところのオタクのような見かけだったが足腰が強く、50メートル走も6秒台で走った。私は7秒6が精一杯だった。彼はまた、頭も良く、入学仕立ての学力テストでは学年で11番をとった。しかしその後どんどん成績がさがって三桁順位くらいまでいき、私はだいたい5、60番くらいだったから馬鹿にしていたら、
「お前にだけは負けない」
と言って、そのあとは8番とかとるようになった。私にはあおる人がいなかったから、卒業まで60番とかだった。
それで私は彼と相撲をとりながら、
「なんでテニス部なのに、相撲なんだろう」
と惨めな気持ちになった。私は別に好き好んでテニス部に入ったわけではなかったが、部に入った人の中には、テニスをがんばりたいと思った人もいるだろうから、勝手にそういう人に同情して私は情けない気持ちになった。私はそういうときに、親のことをよく考えた。親はまさか息子がラケットを肩から下げて家を出て、しかしラケットは袋から出されることもなく体育館の壁に立てかけられ(テニスコートのすぐ脇が体育館だった)、河原で相撲なんぞ取らされている。別に相撲じたいを下に見るわけではないが、相撲をやるならラケットはいらない。ラケット代の2万3000円は無駄になってしまった、親に悪いことをした、などと考えた。さくらももこの詩に、先生から怒られている内容のがあって、そのとき主人公は家にいるお母さんを思い出し、お母さんはまさか自分の子供が先生に怒られているなんて夢にも思わずのんきにせんべいでもかじっているんだろうな、と情けない気持ちになるやつがあったが、私はそういうことをしょっちゅう考えていたから、この詩が本当に気に入ってしまった。
しかしそれから20年以上が経って親になってみると、自分の子が怒られたり、相撲をとらされたりしても、大して興味を抱かずやはり目の前のせんべいの堅さとかがいちばんの問題となる。もちろんいじめとかならもう少しシリアスになるが、私なんかは仕事もしているから、仕事中はやっぱり子供のことなんか忘れてしまう。昨日なんかはちょうど参観日があり、私は休みをとって見に行ったが、それは算数の授業だったが、先生の質問に私の子供は全く手を挙げず、先生は若い女で若い女特有の声の小ささで、私には何を言っているのか全く聞こえない、こういう声の小さい女と私の子供は相性が悪く、もしかしたら先生は私の子供が嫌いだから、わざと小さくしゃべっているかもしれないとか思った。去年の先生も若かったがハキハキして溌剌として声も大きく、子供はよく手をあげていた。そこに先生が気を利かせてわざと私の子供に答えさせたりしたのだが。私個人の好みとしては、今年の方が好きだが、だからなおさら子供のほうは相性が悪いのかもしれない。家に帰って訊いてみたら「わからなかったから手を挙げなかった、声はよく聞こえている」とのことだった。