たまに「自分の中では○歳で止まっている」みたいなことをいう人がいて、飲み会とかだと「俺も俺も」みたいになってそういうのは論外だ。私の唯一尊敬する私がドラムのレッスンを受けていたときの先生は、
「28で止まっている」
と言っていた。私が最後にレッスンを受けたのも28くらいのときだ。それから辞めて、仕事も転々として、あまり年齢のことを考える余裕はなかった。しかし30になるときや31になるときはそれなりに思うこともあったのか。思って思うのは常に過去に向けてなのだから、そのとき思ってもあまり意味はない。30になったとき、あるいは40になったときにショックを受ける人もいるようだ。私ももうすぐ40だから、そのときは何かしらを思うのかもしれない。通り過ぎるだけかもしれない。私はあまり自分の年齢を意識することはなく、自分の中ではまだ20代みたいな感覚はない。それを自分なりに分析すると子供がいるからではないか。子供は変化するから、時間の流れをとらえやすいのである。あと大抵の子供は自分より物を知らないから、子供というのは自分とはなかなか対等になれないから、同い年と考えるのは難しい。そのうちに感性をてこにして、見栄えの良い知識量や経験でこちらを上回るようになるのだが、そうなるころには今度はこちらがもうろくして、傾ける耳がない。「老いては子に従え」と、あるとき私の父母は言ったが、どこまで本気なのかあやしい。私の親は私なんかより余程金を稼ぐのがうまい。やりがいと金儲けをうまくドッキングさせることに成功したようだ。祖母はもっとうまい。役人だった祖父が出世に興味がなかったから家は貧しく、祖母は家の一部を下宿にしたりして、金銭を得ていた。私はどちらかと言えば、祖父に近い気がする。