毎年この時期には、「読書感想文の書き方」という記事を目にし、私は数年前までは読書感想文なんて書くだけ無駄な行為だと思ってきたがだんだんと変化し、得意だった人も苦手だった人もいるが、とにかくどちらにせよそのことを文章で表現するわけだから結果的には書く行為に巻き込まれていったわけだ。私は苦手だった。私は文章に限らず、算数のようにある程度筋道立ったもの以外はみんな苦手だった。だから例えば図工で絵を描くときに、空を何色にするかなどを考えるのが苦痛だった。青と白の間が曖昧すぎるからである。読書感想文については、担任が
「思ったことを書きなさい」
と言うから、思ったことしか書けなかった。だからもし、私が誰かに
「読書感想文ってどうやって書けばいいんですか?」
と訊かれたら、
「思わなかったことを書きなさい」
とアドバイスする。もちろんそれで周りを納得させるものが書けるのかと言ったら、そうではないので、このアドバイスは誰の役にも立たない。しかしもし、生意気な男の子が
「思わなかったことでいいんだ? じゃあ昨日の夕飯のことでも書こう」
と言って、私が少し困ったような顔をしつつも特にとがめもせず、引っ込みのつかなくなった男の子がひいひい言いながら書いたら、それは読むに値するものになると思う。私はそういうのが読みたい。
私は少なくとも小学校までは本当に何も書けなかったから、親に下書きをしてもらってそれを写していた。私が唯一楽しく書けたのは収穫祭の時に、そこで出された餅をクラスでいちばん早く食べ終わったことを書いたときくらいだ。中学になるとだんだんと書けるようになって、中三のときに五木寛之の「生きるヒント」を読んで最後のほうに「人生には希望はない」と書いてあってそこから思考がどぼどぼと止まらなくなって、私はとにかく希望のない人生を生きる理由を探すことにやっきになった。そしてそれを文章にしてやろうと思って書き、二学期に提出したが全く相手にされなかった。そのときは「下ネタ川柳」を書いた人がいて、先生はその子の作品ばかり取り上げていた。その先生は若い頃はウルグアイで教師をしていて、それから六年後に癌で死んでしまった。私はそのときはとても落ち込んだが、今思えばそれはとても良い体験だったと思う。
どう良かったのかと言えば、もしあのとき「中三でここまで深いことを書けるなんてすごい」などと誉められたら、もっと誉められたくなって、やがてそれは効率が悪いことに気づき、とっくに見限っていたかもしれない。それはそれでハッピーなのだろうが、そうならなかった私は誰に見せるわけでもない文章を、連続的ではないが書き続け、今は人にも見せるようにもなった。書くというのは自分の中にある感情だとか思考を文字で再現するのではなく、書く用の特別の感情や思考を用意することのような気もする。だから私は今書いているこの文章はある意味で過去の私を裏切っているが、特にそれに対する後ろめたさはない。