意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

単音の自由

朝出勤中に、ひさしぶりにスティーブ・レイシーを聴いた。スティーブ・レイシーはソプラノ・サキソフォニストで、元ははてなブックマークの記事で知った。他にも幾人か紹介されていたが、スティーブ・レイシーがいちばん気に入った。特にPrayerという曲が好きで、今朝も前奏を一聴したとたんわくわくした。ひとりで演奏している。まるで今まで聴いた全ての音楽が、この曲の前奏であったかのような気がした。ジャンルはジャズだがソロで演奏しているからか、あまりジャズという感じがしない。同じアルバムでマル・ウォルドロンというピアニストと二人で演奏している曲もあるが、ピアノが入るととたんにジャズの体裁が出来上がる。サックスは単音で、ピアノは複数だからだろうか。ピアノは人差し指がダメなら中指で、みたいな卑怯な楽器なのである。

「Prayer」を聴きながら、これはどこか別宇宙のポップミュージックなのではないか、と考えた。同じような音が何度も繰り返され、私は川の上で舟を漕いでいるような気になる。舟と言えば「高瀬舟」である。あれは死刑囚を乗せていた。違うかもしれない。ちゃんと読んだのか、記憶も定かではない。

あるいは学生時代の夏休み前に配られた「ナツイチ」という集英社の冊子でストーリーを把握しただけなのかもしれない。「ナツイチ」は集英社のお薦めの文庫がたくさん出ていた。古くは森鴎外夏目漱石から、新しいのもあったがほとんど忘れ、覚えているのは村上龍の「69」くらいだ。吉本ばなな原田宗典灰谷健次郎がいた気がする。私は昔からカタログの類が好きで、学生というのはよく読書感想文の宿題を課されるが、今思えば、どうして「ナツイチ」の感想文を書かなかったのか不思議だ。当時の私は今よりも頭が固かったのだ。大泥棒ホッツェンプロッツなんか書いている場合ではなかった。私は青春時代ナツイチとPTAの名簿ばかり眺めていた。