意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

教師

教師が生徒の中に保健室ばっかり行く人がいて憎らしいみたいな投書に専門家がそれはそもそもその生徒の行動がメッセージであり、それを読み取って耳を傾けるのがあなたの仕事です、私は自分の子をそんな教師に任せたくない、という記事を読んだ。それで少し前から私は深沢七郎の「人間滅亡的人生案内」という本を読んでいて、それもやはり読者の投書に小説家が答えるのだが、仕事系の悩みには一貫として「仕事はお金を得るために行う以上のことはないから、いちいち悩むのも馬鹿らしい。適当にこなせばよい」といった具合の答えがされていて、私は「でも教師とかはどうなんだろ?」と思っていたら「教師です」という人の質問もあって、そうしたら深沢七郎は他と同じように「生徒なんて適当にあしらってりゃいいんです」と答えていて、私はニヤっとしたというかほっとした。

私は振り返ってみると「良い教師」に巡り会ったことはなく、もちろんそれらがダメな教師でした、と言うつもりもなく、みんなそれなりの教師だった。一方の私も心に深い傷もなく家庭にも大した問題はなかったから、学校に対して「助けられた」「裏切られた」という激しい感情は持っていない。だから先生が特定の生徒を理由もなく憎んだりしても、それはそれで仕方がないと思っており、教師だから平等に愛すべきとか言われても「そりゃムチャだ」と思う。もちろんそれは心持ちの話で、行動において例えば嫌いな生徒にトイレ掃除ばかり押し付けたり、テストの正答を難癖つけてバツにしたりするのは論外だが、例えばつける○を嫌いな子だけちょっと小さくする、とか二本ある箒の古い方を渡すとかそういう些細なことならぜんぜん有りだと思う。もちろん有りかなしがはケースバイケースだが、少なくとも生徒側が
「自分はこの人に嫌われているんだな」
と、感じる程度なら問題はない。