行きに外を眺めていたら建物の前を先輩後輩のコンビが歩いていて、先輩が後輩になにかを指導している。先輩はいかにも先輩然としていて胸を張り、後輩はいかにも後輩っぽく腰が引けている。二人はお互いに演じているのである。そういえばそれから昼になっていつも来るドライバーが後輩を連れていて、私は外に出なかったから先輩も後輩もわからないが、笑い声が聞こえ、後輩を連れているんだなと思った。外で仕事していた人に聞くとやはり後輩連れだったようで、どんなやつかと訊くと
「どっちがどっちだかわからない」
と言う。それは主に体型のことでいつも来る人は小太りだから、新人も小太りなのだろう。小太りは往々にして愚鈍なイメージを持たれるが、この人はハキハキしているから嫌いではなかった。一度荷台のドアを閉め忘れて積み荷をぶちまけたこともあったが、私は大目に見てあげた。ものすごい音がしたが周りに人がいなかったし、どこかへ報告したりするのも億劫だった。それでも一応
「今回は大目に見ますが......」
などとそれっぽいことを言い、そういう自分が滑稽だった。私はふざけているならまだしも、大真面目に上からものを言うのが苦手だった。人にものを教えていても、すぐ
「なんだっていいんだけどね」
とか付け足してしまう。なんだっていいのは嘘で、なんだって良くやられていつも私はイライラしている。
なぜ偉ぶるのが苦手なのか、理由を考えてみると、私は小学高学年のときに少林寺拳法を習っていて、それは柔道みたいに白帯から始まり黒で終わるが、黒からはじまるのである。中学生以上の人はどんな人でも白の次は茶色で、茶色は三級でそこから段がつくと黒になったが、小学生は白→黄色→みどり→茶、と段階を踏んだ。私は最後はみどりで終わったが、みどりの中にも6、5、4級に分かれていて、確か5か4までは行った。たぶん5だ。小6でどうやらスケジュール的に4は無理だと思い、しかし中学になると4をすっ飛ばして3になってしまうのが気持ち悪いとかんじたのをおぼえている。とにかく私はみどりで終わった。みどりの期間が長いと、私の少しあとに入った人がようやく黄色からみどりになったとき、私はそのときどうかしていたのか、気が抜けていたのか、つい
「ようやく俺たちの仲間入りだな」
なんてクサいことを口走ってしまった。それは体育館の舞台袖の緞帳の影での出来事であり、そのとき新しくみどりの帯を渡された、私よりもあとに入った人が舞台袖で帯を付け替えている最中だった。私はすぐに「しまった!」と思ったが、案の定、一緒にいた人に、
「なに気持ち悪いこと言ってんだよ」
と指摘されてしまった。その場にはみどりの仲間が他に数人いて、おそらく全員が「気持ち悪い」と思っていたが、ほとんどは聞き流していた。「気持ち悪い」と言った人は私より年はひとつか2つ下だが、少林寺憲法暦は私よりも長く、みどり帯の期間は私よりもずっと長い。私は始めたのが遅かったから、こういうねじれが生じる人は何人かいたが、なぜかこの人とは馬が合わず、何かにつけてイヤミっぽいことを言われた。私はいつも善良に生きていて、大抵の人には「やさしそう」「やさしい」と言われるが、一定の人からはなぜか嫌われる。正直私は彼が苦手であった。今であれば
「なんだよ、仲間だろ? みどりグループの!」
などとわざと火中に突っ込むような真似をして、被害を最小限に食い止める術ももっているが、当時は私は未熟であり、今思い出しても赤面するくらいの記憶であり、トラウマである。