意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

大人ジュニア

子供が未就学の頃、たまに公園に連れて行くとジャングルジムにのぼりたがるときがあった。近くの公園のは菱形をしており、ジャングルジムにはさまざまなバリエーションがあった。遠くの公園のは途中にロープがあってそこを抜けるとすべり台になっていた。ジャングルジムはうっかり足をすべらせたら最悪死ぬかもしれないから、最悪を避けるべく私は目を離さないよう注意した。しかし実際事が起きたときたらどうにもならないだろうとも思っていた。反射神経の問題として。だから私はこういう危険をはらむ遊びをさせるときは、最悪の覚悟を持っていて、しかしまた別の私はその覚悟の脆弱性を笑っていた。ちまたの親たちはどのように思いながら子供をジャングルジムに登らせるのか。もっと幼い頃は手の届く範囲に、カブトムシみたいにしがみつけさせたりした。気が向くと私も登ったりした。かつてビルの二階か三階くらいの高さの遊具に子供と登ったら降りるときに怖じ気づき、ロープだか梯子だかの壁面を、子供を背負いながら降りなければならなくなり、あのときは本当に肝を冷やした。もしSOSを出したらクレーンでもくるのだろうか。
「クレーンがくるぞ」
と脅せば、子供も勇気を振り絞ったかもしれない。私には子供が2人いて、怖じ気付いたのは上の子だった。下の子とは年がけっこう離れていて、下の子が生まれるまでは一人っ子のように育てられた。だから負けん気とか、そういうのはあまりなかった。上の子供がクレーンを怖がるかは知らないが、あれは見ようによっては首長竜のようだった。私の通勤路にはクレーンの見本市みたいな箇所があり、よく見るとそこは重機のレンタルの会社で、それが恐竜のようだといつも思っていた。首長竜は群で移動するのだ。子供の脚がすくんだ遊具は海賊の砦を模しており、一番上は親玉の巨大な頭があった。その裏で突然
「ムリ」
と言われ、私の足がすくんだ。麓では妻が私たちの写真を撮っている。そばにはベビーカーがあり、ベビーカーは上のおさがりで、どこかのフレームがへし折れていた。なんでも力づくでやろうとするからぼきっとなったのだ。上から見ると妻はだいぶ小さかった。下の子はもっと小さい。助けを呼んでも
「えー?」
とか言われるから、私は半ばムキになって降りた。たくさん汗をかいた。子供は微動だにしなかった。

私がこのブログを始めたのは三年くらい前で、正確にいうと五月で三年だからまだ二年だ。二年まえとかは、もっと「子供がこんな行動をし、私はこのように対応した」みたいな記事があったように思う。私からするとたった二年だが、昨日三年生の私の子供が私が風呂から出ると台所の奥から近づいてきて、そのときすらっとした背になっていたから驚いた。私の家の台所は奥行きがあった。表情がまだあどけないから、背の高さに気づかなかったのである。よく読むブログで「小さい子のブログの記事はよく目にするが、思春期くらいの子供について書かれた記事はまずない」という文を読んだことがあり、私はじゃあ書こうと思いたまに書いたりもするが、子供は成長するとだんだん大人ジュニアのようは口のきき方になって、そうなると私の発想の域を越えることがまれになってわざわざ文字にしようと思えない。