意味をあたえる

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他人を信じず欲を言えば自分も信じない

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私はこれを読んでまずはバイトにもっと仕事をふるのが良かったと思った。社員だから給料が違うからというのは置いといてできる人できそうな人にばんばんやらせるのがいい。今はブラックバイトという言葉も流行っているから可哀想な目に合わせるのはアルバイトの人のほうが脚光をあびやすく結果的には幸福度は高くなるのではないか。あと人は自分がつらいのは割にがんばってしまうものだが他人をつらい目に合わせるのは悪いなあと思ったりするのでそこで「こんなに人につらい思いをさせるくらいなら辞めよう」という発想になればしめたものである。私もしょっちゅう辞めようと思っている。誰それが鬱になったら辞めようとか自殺したら辞めようとか自分よりも今の立場にふさわしい人が現れたら辞めようとか。つまり格好つけたいのである。自分がつらいとかだと情けないとか思われそうだから辞めづらいのである。


病気になるまで仕事をするのはどう考えてもまともじゃないがそうなってしまう世の中である。私は人々はもっと深沢七郎の「人間滅亡的人生相談」を読めば良いと思う。あの中に仕事に悩む小学校教師だかが相談していたが深沢は「子供なんて適当にあしらっておけばよろしい」と答えていた。私はそういうヒューマニズムあふれる業種でも他と同じように「適当にやれ」と言いきってくれたので嬉しかった。そんな無責任な人ばかりでは日本が滅亡してしまうという意見があるかもしれないがもちろん滅亡してもいいが滅亡しないのである。ちゃんと体調を崩さずに責任を果たす人はいるのである。才能の問題である。私の仕事観として「俺がいなきゃ仕事がまわらない」と言う人ほど醜いものはない。いなくとも大丈夫なのである。だからまずは他人の言うことを信じるのはやめなさいと言いたい。この業界は終わりだと若い頃さんざん言われたがしぶとく残っている。勤め先の昇給額が減らされてないありえないと散々言われたが言われたときがいちばん昇給した。誰も嘘をつこうとしたわけでなかったが誰も見る目がないのである。だから他人の言うことに耳を傾けるより自分がしっくりくる感覚に従ったほうがまだ良い。


そういうことがうまくできるようになったら今度は自分の思うことをあまり信用しなくするべきだ。「私は○○に向いている」はまずあてにならない。人が向いているのはやってきたことのみである。私は絶望的な気持ちになったときには死ぬまでこの気持ちが続いてほしいと思ったが続いたためしはないのである。日々はランダムである。


友達も同じである。一生の親友はかなりの低確率である。聡明な人が急に俗っぽくなって「世界の果てまで行ってQが面白い」とか言い出すのである。面白いことを面白がるなんて馬鹿みたいとか思わないのである。私は仲の良い友達がある日「金を貸してくれ」と来たらどうしようと考えていてそういうときはちゃんと縁が切れるように今からちゃんとシミュレーションしようと思っている。親兄弟も同じである。