意味をあたえる

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渋谷まで何キロ

妻に訊かれて渋谷まで何キロか調べた。渋谷に用があるらしい。用があるのに電車とか道路を調べずに距離を訊いてくるなんて。およそ60キロほどであった。私は距離の感覚がイマイチで「何キロ?」と訊かれるとなんでもかんでも「100キロ」と答えそうになるが100キロなんてそうそうあるもんか。と思ったがよく高速を走っていると「東京まで235キロ」とか目にする。群馬とかだろうか。群馬には利根川を越えていく。利根川は素晴らしい川だ。小学校のクラスには利根川が二人学年全体では三人いたがみんな利根川のすばらしさにあやかってつけたのだろう先祖が。先祖がどんな顔をして初めて名字を決めたのか見てみたい。


そういえばこの前実家で父と父が小学三年くらいまで牛を飼っていた話を聞いた。牛は野良仕事では大切な財産だから人間と同じ屋根の下です飼われていたそうだ。一方私の父の実家は田んぼからくると坂の上に家があって牛は重い荷物を引かされながら急な坂を登らされ涙を流していたそうだ。確かにそれなりの坂だ。私が生まれて初めて登った坂もそこではないだろうか。自転車で降りずに登ったりした。父が小三になって家にマメトラが来て荷物は車が運ぶようになり牛は肉にでもなったのか。まさか今もどこかで生きているなんてことはあるまい。それから二十なん年経って祖父が死にまた二十年経って祖母が死に父もあと二十年は生きられまい。私もそのうち死ぬだろう。みんな牛を追って死に牛をおぼえている人はいなくなる。私は父が子供の頃に布団にもぐり込んできた蚕を潰した話などを子供たちに聞かせたかったが父はしなかった。蚕は私が幼い頃にはまだ古い家にいて新幹線のようだった。土間に屋根裏に行くハシゴがかけられ最後までそれを登ることができなかった。私の子供はそういうことを知らない。祖父母の家はとても広く1000坪くらいあって竹藪もあったが私の成長にあわせてどんどん小さくなった。古い家はあぶないからとつぶされた。トイレは残っている。私の家の方は古いトイレが残っている家が多い。トイレは丈夫なのだ。義母の実家にも別棟のトイレがありそれはコンクリートの壁であと数十年は保ちそうだ。「誰があんなところで糞をするか」と義父が吐き捨てた。私も極力水分を取らないようにしたい。