意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

画面酔い

いつのまにか「クレイジージャーニー」を二週分ためてしまいそういえばその前の週がお休みで「なんだよ」と思って惰性で見なかったのだ。それで立て続けにみたのだがひさしぶりだったせいか画面酔いをし最後のほうは見るのがつらかった。最初のほうは珍しい生肉を食べる民族の紹介だったが日本人も魚ばかり生だし肉はレアだしそこまで物珍しいというふうでもなかった。そもそも舞台がロシアだったから見慣れた西洋だし寒くて不潔なかんじがしないというのがあるかもしれない。同じことをアフリカだとかで蠅がぶんぶん飛ぶ中をやったらやっぱり「すげえな」となるかもしれない。


後半が火事でぐちゃぐちゃになった廃墟を紹介するというのでこの辺から私の具合が悪くなった。昨日から体が重くてちょっとしんどかった。今日は休みだが元からの休みで子供を送り出したあとはまた寝巻きに着替えて寝たり起きたりした。胃が重いのである。仕事も先月末くらいから低調でゆっくり深沢七郎の人間滅亡的人生案内を読もうと思ったが読んでいない。そういえば新しいドラクエの副題が「失われた時を求めて」で本当は違うが似たタイトルで忘れたから小説のほうを書いたがとにかく小説が読みかけであることを思い出し少し読もうと思って読んだ。まだ一巻の半分しか読んでいないがまったく話がわからない。わからないが人が登場する小説である。あと関係ないが人が突然老衰で死ぬ小説を読んだがあれはなんだっけと思い出そうとし思い出せないと苛立つからやっぱり小説や映画なんて見るもんじゃないと思う。「私を離さないで」かと思ったが違う。関係ないが「私を離さないで」てハリー・ポッターに似てると思う。ハリー・ポッター読んだことないが。とにかく私の中でヨーロッパの寮のある学校が出たらなんでもハリー・ポッターなのである。ところで人が老衰で死ぬ小説はラデツキー行進曲という小説でこれは保坂和志の小説、世界を奏でる音楽という本の中で紹介されていた小説で私は一年か二年前にそのとき読むものがなかったからとにかく保坂和志の本を適当に開いて出てきた小説を読もうと思ってそれで出てきたのがラデツキー行進曲だった。結局下巻の途中で読むのをやめてしまった。主人公がタールまみれの土地に配属されて読んでいてその臭いがしてくるようでつらくなったからである。もともともったりとした読むのにこっちが背中を押さないと進まないような小説だったのでいよいよそれで読むのをやめてしまった。しかし二年経っても人が老衰で死ぬシーンだとか友達が決闘する前夜に街をうろうろするシーンだとかはおぼえているのである。


全然関係ないが妻に湊かなえ読まないのかと訊かれそれはたしかその人の小説のドラマがやっていたせいで私は「湊かなえはつまんないよ」と答えそれはもちろん作者を馬鹿にする気持ちもあったが私は過去に読んだことがあるつもりで私なりに批判する権利があってつまらないと言ったつもりだったがよく考えると湊かなえは読んだことがなかった。おそらく白夜行の作者と宮部みゆきがごっちゃになったのだ。でも当たらずとも遠からずではないか。社会病理に触れながら人間の浅い感情の組み合わせで数式を組み立てるような小説ではないか。ナカイの窓という番組で小説家特集の回があってそのとき湊かなえが出演していたが同じテーブルに西村賢太がいて西村がいつも布団の上で原稿書いてますというと湊はどん引きして「もっとちゃんとしてください」と注意をししかし一方の自分はディズニーランドのアトラクションの行列に並びながら原稿を書くといい一体これらのどこに違いがあるのか私にはわからなかった。しかも湊は「締め切りに間に合わないので」みたいな言い訳がましいことを言ってそういうことが本意ではないみたいな表明をし私はこの人の小説は読みたくないなと思った。一方の西村は湊に窘められても「そうですかあ」と反論もせずにニヤニヤと悪びれる様子もなく見方によってはひたすら小説家の品性を落とすことに注力しているように見え愉快だった。