意味をあたえる

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真面目と劣等感

長い一日になる予定が比較的長い一日になった。ここのところよく人がきて今日は資産家のおじいさんみたいなのがきた。おじいさんだと思ったのは本人から
「もうリタイヤして」
みたいな話を聞いたからでそれまでは50代後半くらいかと思っていた。お腹が大きく薄く色の入ったメガネをかけていた。いくらか話しやすい人だから良かった。壁をぶち抜くとか言っていた。冗談かと思ったら消防法がうんたらとか言っていたからマジなのだろう。困ったらメールくださいと言われたがこの手の言葉に素直にメールを返したことはない。


話の中で「前いた会社の営業はみんないい加減で一方ここの人はみんな真面目」というパートがあって私は傷ついた。それはニュアンス的には真面目すぎるのもいかがなものかというのを含んでいたので私は自身がつくづく真面目だと反省してしまった。反省がなにより真面目な証拠だと悟り傷ついた。有史以来真面目なことが良いことだととられたことは一度もない。いつだって評価をされ得をするのは程よく不真面目な人なのである。ちなみに中身が同じでも程よく真面目という言い回しはしない。つまり真面目はいつだって行き過ぎなのだ。周囲はその行き過ぎの行動に引いたり呆れたりする。影で「あいつって面倒くさいよね」と言われる。自分の融通のきかなさを棚に上げ「いつも自分ばかり割を食っている」と文句を言う。真面目は何ひとついいことがない。


少しでも不真面目になろうと私は冗談を言うが私は冗談を言うのが上手だがたまに相手に配慮しすぎて私自身がシラケることがある。あまり相手にいい気になってもらおうとするとまるでゴマをすっているようでここでも自己嫌悪を引き起こす。真面目はどこまでいっても不真面目になれない。少なくとも不真面目になろうとしていてはダメなのである。