意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

負けたくないと言われてもわからない

やたらと勝ち負けにこだわる人と昨夜正確には夕方から夜にかけて話をしたがどうにも退屈で次第にこれは一種の説教だなと思った。なぜなら説教は常に退屈だからである。退屈をしのぐために垂れるほうは怒鳴ったり脅したりするのだから説教はまるでアトラクションでありエンターテイメントであった。よく話してすっきりするというがこれは単なるエネルギーの移動でありつまり聞かされたほうは最後はげっそりしてしまう。
「他の会社のやつに負けたくない」
と言っていた人は最後は暗闇の中足取り軽く帰っていった。私は今度は別の人に私の話を聞いてもらいたかったがすぐ近くにまだ足取りの軽い人がいそうなので結局何もしゃべらずに帰った。