先日のミュージックステーションにドラゴンアッシュが出演しドラゴンアッシュがすでに時代をリードするバンドでなくなり本人たちもすっかり毒気が抜けていて焦った。私は当時も昔も今もドラゴンアッシュが良い音楽と思ったことはなかったがテレビでドラゴンアッシュというバンド名が表示されると嫌でも「ドラゴンアッシュを聞いて育った」という感情を抱いた。それは例えばイエモンでありルナシーが出演しルナシーが「ロージア」を歌っても抱いたことのない感情だった。いよいよ最後の砦が崩されたかんじだった。「ロージア」はもはや歌謡曲のような具合であり十代の人から見れば私たちが若いころにNHKやテレビ東京でやっていた「我ら青春の曲ベストセレクション」みたいな番組を親が見ているときに得た感情と大差ないだろう。「懐かしい」なんて糞ったれなのである。あるいは私はその後のドラゴンアッシュのパクリ疑惑とかをまったく知らないからドラゴンアッシュはビートルズと並ぶ神バンドとか思ったのかもしれない。かつて村上春樹が「若いころにラジオをつけるといつも「イエスタデイ」がかかっていて正直「またかよ」と思った」と書いていてそれは私がドラゴンアッシュに抱く感情と似ていた。円形の画面に向かって少女が歌うPVがうざかった。周り中が(素行の)悪そうな人に関してはほぼ友情関係で結ばれているというアピールがうざかった。
当時私はドラムを熱心にやっていて毎月ドラムマガジンという雑誌を買っていたら巻末に「人と楽器」というインタビューコーナーがあって私は好きだったがあるときドラゴンアッシュのドラマーが出ていてドラマーはポークパイというブランドの海外のドラムを使用していて「でも豚ちゃんはダサいよね」と言っていて何が言いたいのかさっぱりわからなかった。しかしバンド名に「ドラゴン」とつけるくらいだから彼らの自意識は相当なものだったのだろう。そう考えると日本の代表メーカーが「パール」だの「タマ」だのいうのはきついものがある。海外はと思ったが私は海外のブランド名はもう殆ど忘れてしまった。
昨日は美容院へ行き女の美容師だったのでドラゴンアッシュの話をしたら「世代ですもんね」と返された。彼女はいつも切ってくれる人の配偶者で髪を染めた私にコーヒーを振る舞ってくれひたすらコーヒーが濃く出過ぎてないかと心配していた。味は正直ちょうど良かった。きっとコーヒーを頼む客なんて私くらいなのだろう。窓際の席でぼんやりとコーヒーをすするのは幸せだった。隣の住宅は足場とブルーシートがかけられ「リフォームですか?」と訊いたら「屋根を」との話だった。屋根でも壁でも良かった。この辺は大きな家が多いらしい。「城下町ですからね」と言うと納得していた。なんでもかんでも分析してしまうのは私の悪い癖だった。その後今の若い女性はブランドを身につけないちょうど私たちの世代は十代の女がビトンやプラダを身につけていたという話から今は雑誌でもファストファッションを推していると教えられ「きっと青少年なんとか委員会とかが圧力かけたんでしょうね」と答えた。北朝鮮のことを振られ「むしろアメリカからしたら望むところなんでしょうね」と答えた。ぜんぶ私の妄想である。美容院は誰でもコメンテーターになれる夢の場所なのである。もう少しで「昔の女性の中にはビトンが欲しくてそれで援助交際とか流行ったんでしょうね」と口をすべらすところだった。
ところで前段の終わりでどうして私の言動が「口をすべらす」なのかわからない人がいるかもしれないがこれは昨日読んだ太宰治の影響で「母」という短編の中で太宰は若い読者から「先生は怠け者だ」と言われムカついた。その若い読者は宿屋の倅でありある日太宰が泊まりに行くと妙に色っぽい声の女中が出てきて太宰は倅に「ここは宿屋だけではないんですね」と言って恥をかかせてやろうと思うがとどまる。こうやって文章にすればなんてことはないがなんてことないのは私がわかってから今書いているからであり最初はどうしてこれが恥なのかわからず何度も読み返した。私はこういう勘みたいなのが大変鈍く小説を読むのに向かない。