意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

語彙

とりとめのなさと一九八四年 - マトリョーシカ的日常

局長さんが今朝の記事で「自分の中の言葉の少なさにあきれる」と書いていて謙虚な人だなと思った。あるいは私はそれを反射的に語彙についてと解釈したが今読み返したら言葉とあったからニュアンスとしては違うのかもしれない。私も何年か前は本を読んでいてわからない単語があるのが嫌にかんじる時期があって辞書アプリを入れていちいち調べたことがあって調べた単語をTwitterに投稿できればいいのにとか思った。しかし大昔の学生時代と同じことが起こりそのときは英語だったが同じ単語を調べると自己嫌悪に陥ってしまう。同じとは過去に一度調べたことの意味を忘れて再度調べてしまうことである。私はなんでも一回でおぼえないと自分が阿呆になったみたいでむしゃくしゃするのである。だからいつからか言葉の意味もいちいち調べるのをやめ少なくとも日常で読む本ならわからなくとも読むのに支障はないのであった。


局長さんはもしかしたら仕事上で語彙についての指摘を受けたのかもしれない。私も去年くらいには上司に「文章が長すぎる」とメールの文章について注意され以来改行を多くしてポエムかブログのような文を書くよう心がけている。前にも書いたが子供に言い含めるように書くと好評である。しかし私は誰かから「文章がうまいね」とか言われたことがないから小学生の作文みたく思われているのかもしれない。