意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

みやぞん

みやぞんという芸人が我が家で大人気である。もちろん人気なのは私以外の家族であり私としては今旬の芸人ならサンシャイン池崎が好きであとはもう旬じゃないがもう中学生が好きだ。アキラ100%は論外で論外というか私は彼の芸をまともに見たことはなく初めて見たときには素っ裸でバラエティーのゲストでやってきてイスに座り厳しい半生などを真顔で語っていて「義理のお父さんはアキラの芸を認めてくれるか!?」みたいなのばっかで私は血縁でもなんでもないから興味がわかなかった。そういう意味の論外で例えば他の芸人なら「はいネタどうぞ」みたいなタイムがあって私はそういうので彼らの笑いの手法を知るのだがアキラはやはり裸だからテレビ局側も半ば無意識にネタをやらせることを敬遠しているのではないか。でもふと思ったが「笑えない裸」というのもそれなりに新しい気がする。


みやぞんの前はトレンディエンジェルが我が家で人気だったが斉藤の女性問題で一気に株が下がった。女性問題というのも私はよく知らなくて斉藤が映るたびに妻が激しく画面を罵倒するのを見てなんとなく察した。それ以前は斉藤のはげ頭が映る度に手を叩いて喜んでいたのだが。それが今はみやぞんに替わった。即興で歌を作るのがうまく運動神経もよく器用でウッチャンにも気に入られ人気が出るのもうなづける。私の妻は「本当にいい人だ」と人格まで全肯定である。私は果たしてそれでいいのかと思う。いいのかというのはみやぞんだって性欲はゼロじゃないしギャラも認知もうなぎ登りでこの先すべての人を傷つけずにやり過ごすことはほぼ無理だからだ。それをお釈迦様みたく祀っていいのか。改めて私は融通のきかない性格だと思う。逆に言えば私は手放しで褒めた人がお釈迦様級でないと自分の感性や先見性が否定されたようにかんじ深く傷ついてしまうのである。つまり自分のお気に入りが絶対無敵じゃないと気が済まないのである。当然そんな人は滅多にいないからその人を手放しで褒める確固とした根拠を構築してちょっとした揺さぶりにも負けないようにししかしそんな構築もいちいち面倒だから自然とマイナーな領域のマイナーな人を褒めるようになってしまう。テレビのぱっと出の人なんかに容易に心を許すわけにいかない。それこそその人が女性問題を起こして失脚した際例え心の中でも「こいつは人間のクズだ」なんて思ったら私のプライドは地に落ちるだろう。