意味をあたえる

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目「蟻」

蟻(目) - カクヨム

話の中で主人公が弟を殺したことを思い出すシーンがあったが私も子供の頃弟の頭を父のパターで殴ったことがあり「これは死んだ」と思った。幸いたんこぶで済んだ。弟は忘れたかもしれない。こめかみにお餅のようなカプセル薬の容器のようなふくらみができ弟は昏倒した。あるいは泣いていた。正確には殴ったのではなく振り上げたところに弟の頭があったのだ。弟はもう忘れたかもしれない。弟は今はふじみ野とか都内で働いている。この前叔母の通夜で半年ぶりに会って帰りに池袋駅まで送ってもらうことになってそうしたらこの後銀座に行くという。車でである。そんな仕事人間になったのはあのとき私がパターで殴ったせいかもしれない。私とは似ていない。弟はこれはと思った人にどこまでもついていく人間である。私は逆でいつでも相手を嫌うポイント尊敬に値しないポイントを探している気がする。仕事でもなんでも好きなことに打ち込むのは幸せなのかもしれない。


妹の頭にもあるとき鍋のふたをフリスビーみたいに投げたらやはり頭にヒットして「すこーん」という音がして妹は泣きながら家に戻りしかし泣いたり戻ったりできたから死んだとは思わなかった。妹はもうおぼえていないだろう。逆に私が忘れてしまったこととはなんだろう。昨夜私はアイスを食べていたらいつのまにか妻も子供も寝巻き姿でいて妻はさっきまでクロネコヤマトだかに出かけていたはずなのに素早すぎるとおどろいたら私の記憶がエラーでつまり私は子供に自分が風呂を出るまでアイスを食べずに待ってろと言われて待っていたことをすっかり忘れ忘れるというのはある程度の距離が開いてから使わないと不自然でこれは忘れたのではなく認識のエラーだ。幸いすぐに復旧できたので驚くことは何もなくなったがいつかは周りは知らない人だらけになって一瞬で何ヶ月も過ぎたりさかのぼったりする日常になるのだろう。私はそんなときにも「記憶のエラーである」と悠長に思うことができるだろうか。痴呆になった祖父の日記は最後はほんとうにミミズが這ったような字になった。そんな字で息子夫婦がうまくいっていないことを憂いている。やがて夫婦は離婚したが祖父がそのことを認識できたかは不明だ。あの頃より私は祖父に近づいたが離れている。祖父の心境など知る由もない。