意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

写真

妻や義母はどこかへでかける度に我々を特定の建造物や物の前に並べ記念撮影をする。そのたびに私はしかめ面をしたり変顔をしたりまばたきを装ったりする。職場の人にその話をしたときは「年賀状に使われるのが嫌だから」と理由を説明したがそれは思いつきで実のところカメラを向けられてぴっとキメ顔をするのがちゃんちゃらおかしくてできないのである。ここのところ芸能人が煙草みたいな筒状の装置でビタミンCを吸っている写真をインターネットに上げている写真が話題になっているがビタミンCどうこうよりも彼らのキメ顔が見ていて痛々しい。もちろん彼らは優れた容姿を持っていてそれを写真や映像におさめられるのが仕事なので痛々しい私が痛々しいのかもしれないがしかし自撮りという行為は自意識がにじみ出ていて気色悪い。よく考えると彼らは撮られるプロであって撮るプロではないから私のかんじる痛々しさは一応根拠が成り立つ。およそ写真で見るモデルの人々は自分の容姿についてまるで無頓着なふうにおさまるがそれはカメラマンの腕なのであった。自撮りの写真もそうだし添えられたコメントも気持ち悪い。友達になんとかみたいだと言われたと書いてあるがそのなんとかがちょっと悪っぽくてかっこいいから本人は「そうかな?」とすっとぼけているがまんざらでもないというのがひしひしと伝わってきて吐き気をもよおす。自意識なんて糞食らえだと心底思う。でも誰だってそういうときはあるし嬉しいときこそすっとぼけたいし私だって恥ずかしい過去まみれだからまあいいかと思う。


※どこかの観光地で家族みんなで撮ろうというときに何故か外国の人が撮ってくれたが私のまばたきを見て「ソーリー」とか言って撮り直してもらって以来他人の撮る写真にはいい顔で写ります。