意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

10時に寺

「人はなぜ集団になると怠けるのか(針原直樹著・中公新書)」を読んでいるが難しい。昨日は文章の上手い下手はないと書いたがこの人は文章が下手なのかもしれないと思った。書いてあることがまるで意味不明である。しかし読み進めるとやがて理解できるところが増えてきた。私が馴染んできた。思えばここのところずっと「三国志」を読んでいたからそういうモードに切り替わっていた。三国志も最初はとっつきづらかったが最近ではすっかり現実とごっちゃちになって仕事でとちったら手討ちにされるんじゃないかと冷や冷やした。軽口を叩いて首を尾とされたのもいる。私などはすぐ冗談などを言って小学校のときなどは教師に睨まれた。しかしそういう経験によって今はあまり口を滑らすということもない。


朝9字くらいに起きて納豆を食べながら撮りためたクレイジージャーニーをいくつか見て昆虫食の女の人は最高だなと思った。司会者が「自転車でたまに虫が口に入っちゃうことあるけどそういうときは「儲けた!」と思うんですか?」なんて訊いていたが私は逆に「じゃああなたは泳いでいて口の中に魚が入ったら「美味しい」て思うんですか?」と訊きたくなった。いくら昆虫を食ってるからって彼らは別に原始人ではないのだ。私はこういう差別と裏表みたいな笑いの取り方には敏感なのである。加えて鯨猟で全長15メートルの鯨を村総出で解体するシーンを見ながら私たちはそのうちに野菜を食べることすら躊躇するようになって飢えて絶滅するんじゃないかと思った。昆虫がそのままの形で食卓にならぶと気持ち悪いと思うし鯨のお腹の中から胎児が出てきて可哀想な気持ちになって想像力というのは生きてことへの足手まといになっている気がする。馴れればどうってことないというが馴れるとは想像力を鈍化させることである。


昆虫食の人が面白かったのは飼っていて愛着のわいた昆虫を食べるときに「愛着がわいたら食べられなくなるんじゃないですか?」との質問に「朝起きると感情を切り替えられることが多い」と答えていてやはり睡眠というのは偉大だと思った。昼過ぎに上記の「なぜさぼるか」を読んでいたら途方もなく眠くなりそのまま二時間以上寝たら私が2人の甥の面倒を見る夢を見て手に余っていたら弟が助けてくれる夢を見て弟は11月に結婚する。


明日は法事で寺に10時である。