意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

3時28分

夜中に目が覚めあと30分もしたら5時20分の私の起きる時間だろうと高をくくったら違った。3時28分である。5時20分に起きて少し走って帰ってきて着替えてそれから子供の弁当をつくって子供を駅まで送るのが私のここのところのタイムスケジュールで余裕があれば私の弁当をこしらえるが下の子が家を出れば30分以上時間が空くのでそこまでせっせと支度をしなくても済んだ。ここのところ台風がきて去ったらあまり体調が良くなくそれが走れない原因と理由になってしまっている。時計をみると3時28分だった。どうして時計を見たのか。時計とはスマホスマホはベッドの横で充電ケーブルにつながれている。ここのところの不調は暑さのせいではないか。先週は寒くて調子が悪かったが後半は良かった。時計を見ずに再び寝ることもできるが見ずにはいられない。体をいくらか起こしベッドの下に手を伸ばし携帯の側面の電源ボタンを押す。大変まぶしい。時刻を確認すると同時に一体何時間寝続けられたのか計算し自分の体力がどの程度回復したのか推測する。宿屋じゃないんだから時間と体力が正の関係で増えるわけでもないが寝起きだからそんなことを考えてしまうのか。まだ寝られるのは嬉しい。まだ寝られてうれしいという感覚は学生時代からある。6時半に起きる予定が6時に目が覚めると嬉しい。幸せですらある。しかしあまりに早いと怖くなる。怖いというか心細い。心細さがネガティブな感情を連れてくる。昨夜はどうして子供が幼かったころの写真をもっと撮らなかったのか悔やんで仕方がなかった。それはもう乳児だったころ幼児だったころの顔やたたずまいを忘れてしまったからである。つい昨日か一昨日に会社で「運動会だので我が子を必死に撮影する親にさもしさをかんじる」と豪語し同僚と「ビデオなんて撮ったってどうせ見ないし」と言い合ったがあれは嘘だった。その人は離婚して子供も大きかった。彼は夜中に目覚めたときには心細くならないのだろうか。私の心細さの正体は死にたくないという欲望に起因するのだろうか。目が覚めると驚くほど身軽だった。